August 11 '95 (Fri) Fine

マ ン ハ ッ タ ン 島 の 夜 景 を 観 る

 
中村和之氏からの電話で目が覚めた。7時30分。兼ねてからの本の依頼があった。鎌田オフイスにファクスを何度か送信したが、着信不能だったらしい。


今日は11時少し過ぎに出発することになった。外にでると突き刺すような暑さを背中に感じた。 地下鉄の構内通路はやはり暑くて更に湿っぽい。あまつさえ、エアコンの排気孔があり、そこから温風が排出されている。黙っていても汗がにじみでてくる。
疲れる一日になりそうだ。


  演奏を始めると、通行する誰もが振り向いて行く。歌に興味をもつと、人種を問わずチップを置いて行く。気に入られただけチップの金額も増えてゆく。昨日と同様、人の流れがなかなか途切れないので、演奏もそれにつながってゆく。


汗が吹き出す。B.D.シャツの襟首や袖が汗で濡れる。歌っている最中、蝿がうるさくつきまとう。 人の流れで空気が汚れ、風となって目に舞い込む。文字どおり汗と埃にまみれる。


  結局演奏を終えたのは1時40分。2時間近く演奏したことになる。後かたづけをした時ギターケースの缶からチップが溢れ出て、改めてその量の多さに驚いた。


  アパートに戻り、シャワーを浴び、次の行動の仕度をする。

昨日アンティークセンターをおとずれ、休業していたアールヌーボー専門店に電話をして、ガレのパフュームランプの価格を聞いた。4500ドルの答えに気が滅入った。冬季の臨時手当まで待つとするか。


  4時前に World Trading Center の拓銀NY支店長である梅村さんに逢うことになっている。三橋さんが購入したドレスを引き取るために、37丁目6番アベニューのブティックに立ち寄る。三橋さんはきんきらきんを2着も購入してご満悦そうである。


World Trading Centerに向かうため、Fashion Avenueでタクシーを拾ったが、これがとてつもなく乱暴な運転であった。New Yorkでは車の流れに沿うのにはこんな風にしなくてはなくてはならないのだろうか。


  Trading Center Bill は高層ビルが2棟あり、その他幾つものセンターが同じ区域に並んでいる。目指すのは、2 World Center の99階。入る前に、I.D.の提示を要求される。照合が済むと Permission-card が渡される。 爆破事故以来、厳重な警戒がなされているそうだ。


  拓殖銀行に着き、案内嬢の取り次ぎで応接室へ。99階からの景観はまことに筆舌にはつくしがたい。摩天楼群が眼前に広がり、自由の女神像も毅然と立ち尽くしている。


ここからの景観を初めて味わう人は感嘆の吐息をもらすそうだが、長期間この場所にいると慣れてしまい、かえって落ちつきが無くなるそうである。なるほどと思ったが、自分としてはこの時間がずっと続いてくれればよいのにと感じた。


それにしても、この部屋はクーラーが効きすぎている。鳥肌がたつほど寒い。 三橋さんはぼくの腕の毛にさわってきた。


  梅村さんは、ぼくらの他にロス支店の副支店長夫婦と子ども2人、及び国際部の藤波さんと食事をすることになっていた。その後スタッテン島にフェリーで渡り夜景を楽しむコースに我々を誘ってくれた。


  食事はフィッシャーマンズワーフのシーフードレストランで。
初めて食べるソフトシェルクラブのバーガーはなかなか美味しかった。梅村さんや藤波さんに大変お世話になった。


時間も頃合となり、藤波さんのワゴンでフェリーに乗り込む。総勢9名の為、ぼくと恵介は後部トランクルームに。


 丁度我々の車でフェリーの定員となった。ラッキーである。

  フェリーに乗り込むとすぐに出航となった。高速船ゆえに、非常に速い。



そうこうするうちに、マンハッタン摩天楼群の夜景が目に飛び込んできた。
写真で見るのとはまるで迫力が違う。ビデオに記録して後で見せても、実物を見る
感激は伝わらない。それほどすごいものだ。ライトアップされた自由の女神像も現れてきた。


約15分ほどでフェリーはスタッテン島に到着し、それからまた車に乗り込み夜景がよく見える場所まで移動した。ここで記念写真。


全行程を終え、帰りの車中でもハーモニーを披露し、アパートの前まで送ってもらった。握手を交わし、丁重に挨拶をして別れる。感謝の気持ちでいっぱいである。

  ワシントンの佐藤さん夫婦は、週末に来ることが不可能となった。残念である。


http://www.youtube.com/watch?v=aIV_hCFLTMU