31歳の春、俺は地元に戻った。

 

 文化会館の事務室に俺の机があって毎日9時に出勤する。

 地域おこし協力隊の契約は毎年更新で最長で3年、ボーナスや退職金はない。

 ただ会計年度職員と同じ福利厚生があって、今まで自腹で全額払っていた国民年金や国民保険は半額負担になる。そもそも毎月給与という定額の収入があるのは始めてた。

 給与の手取りは月16万円ほど。ただ、実家で暮らしていれば朝晩の食事は出てくるし、家賃や水道光熱費は不要。そこで、おれはしばらく東京の部屋をそのままにしておくことにした。既に決まっていた仕事もあって、それは断れないということは事前に伝えておいた。仕事内容によっては研修・出張という扱いにもしてもらった。

 

 地域おこし協力隊は国からお金がもらえる制度だ。一年間で使った金額を国に報告するとその分が返ってくる。つまり建て替えは必要だが、市の財布は痛まない。予算は上限が400万円で、その半分が俺の給与になり、半分が「地域おこし事業のためのお金」となる。これが、文化会館主催事業の予算ということだ。 

 すげースキームだなと思った。地域おこし協力隊の制度を使って俺を雇い、会館の運営と事業の立ち上げを進め、さらには主催事業の予算も確保してやがる。

 市は1円も使わず、指定管理者も0円で俺を雇用している。

 

 文化会館は市の直営・教育委員会の運営でスタートしていた。しかし、新年度から指定管理者制度を採用し、父の友人の市議会議員が社長を務める企業が指定管理者になっていた。館長は市の職員が勤めていたが、会館の運営は実質俺がやることになる。指定管理者の企業から派遣されている職員に照明や舞台の操作を教えることからだ。成人式や講演会くらいなら照明・音響は簡単だが、音楽・演劇などの本格的公演なら県庁所在地から専門業者に来てもらわないと厳しいだろう。

 

 ただ、俺の手元には200万円ある。

 このお金で、会館の主催事業として演劇や音楽の公演を行うことはできる。

 ワークショップのゲストを東京から呼ぶこともできる。

 市民のために有効に使いたい。

 

 そういえばニューヨーク勤務になったSはどうしているだろうと思った。

 俺は、地元から東京に出て、地元に戻った。

 Sは、地元から京都の大学に進み、東京を経て海外に出た。

 友人の言葉通りなら海外勤務になったSの年収は1,000万円以上で、地元に戻った俺の月収は16万円だ。