六角形の井戸とオリオン座 | 開運行動すれば【その先、ヒカリ♥】

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山陰中央新報より



蛯原さまの考察
シェアさせて
いただきました

ありがとうございます


再掲 
 『平城京造酒司の井戸の屋根は六角形』
 〜酒造りに見られる日置の名前 


 【平城京造酒司の井戸】

 平城宮には
酒や酢を醸造した
「造酒司」という役所があり、
そのための水をくみ上げた井戸が
いくつか見つかっています。 

 そのなかのひとつで、
遺構模型を展示しているこの井戸は、
杉の大木をくりぬいた
直径140センチの井筒を中心に据え、
川原石を円形に敷き、
石組みの溝を周囲に巡らせており、
さらに
六角形の屋根があったことが
わかっています。 

その立派な造りから、 
この井戸は儀式用の酒を醸造するために
特別に扱われた井戸だと考えられています。

 みき‐の‐つかさ【造=酒▽司】

 律令制で、宮内省に属し、
酒・酢の醸造や、
節会せちえの酒をつかさどった役所。

 神亀元年(七二四)
十一月二十三日から二十六日にかけて、
聖武天皇の大嘗祭がおこなわれました。

 造酒司木簡には、
聖武天皇の大嘗祭に関わる
一群が含まれると推定されまする。

 〜参考奈良の観光情報まとめ
サイトNARABURA 
地下の正倉院展 造酒司木簡の世界 


 大嘗祭とは
天皇が即位して初めて行う
新嘗祭の事で、
新嘗祭は
毎年十一月下旬におこなう収穫祭です。

 新米を炊いたご飯や、
新米でつくったお酒などを神々に供え、
天皇みずからも飲食する祭りですね。

 大嘗祭は四日間にわたり、
一日目には神事が、
二~四日目には饗宴がおこなわれます。

 造酒司は、
饗宴で飲む酒類や神事に用いる
供物の準備などを担当します。
 
 白酒は、黒酒とならび
新嘗祭・大嘗祭に供される酒であり、

『延喜式』によれば、
麹の比率が三割弱で
発酵させたものが白酒で
それに
久佐木の灰を加えたものが黒酒
になります。

 日置部は
宮中の火を扱う部でしたので、

クサキを燃やし灰を作ることから、
造酒にも関わっていたのですね。

 *日置部は『聖火』をもって
製鉄や土器生産に
従事することにもなるのである。
 このことは
《日本書紀》垂仁39年条で
五十瓊敷(いにしき)皇子が
千口の大刀を鍛造したとき、
十箇品部の中に
日置部が含まれていたことからも
うかがえよう。 

 また日置一族は
砂鉄の生産地に多く分布し
(肥後菊池川、出雲国飯石郡)、

さらに土器生産にも当たった
と考えられ、

また日置氏は
土師氏系とされ
菅原朝臣を賜姓されている。


 〜世界大百科事典 日置部より



 【木簡】 


木簡は、
主に造酒司の西辺を
南北方向に流れる溝
(井戸からの排水路)から出ており、
発掘調査で明らかになった
奈良時代前半の造酒司の建物配置は
奈良時代後半には
建物の建て替えがおこなわれ、
配置も変わるが、
井戸や排水路は基本的に踏襲される。

 木簡の多くは
井戸から延びる排水路より出土した。 

 造酒司西辺は
谷筋にあたり、
井戸からの排水路が繰り返し掘られた。

 奈良時代を通じて
湿地のような状態であった
とみられます。

 木簡は、
造酒司からの呼び出し状で、
「長」さかべ は、
酒造りに携わった酒部の統率者
のようです。 

 三名の「長」に対して、
当番の割り当て通りに出勤するように
命じていて、
呼び出しを受けた当人が
この木簡を造酒司に持参し、
その後廃棄されたものと
考えられます。


 *右の木簡の左下に
「日置薬」の名前があります。


 【銅印】 

酒甕にかけた紐に取り付ける、
「封泥」(封をするための粘土)に
押印するものであった可能性がある。
 印面の記号が
何を表しているのかは、
 よくわかっていない。
(縦 4.4cm、横 4cm) 







*銅印の中心に三つの穴があり、

私はこれは
オリオン座の三つ星だと
推測しています。 


全体的には
桛(かせき)の形
オリオン座(参宿、觜宿)を模している
と推測しています。 



 『平城京六角形の井戸の由来』
 〜天然痘パンデミックから
平城京を護った井戸 

 

今から10年ほど前、
平城京跡の朱雀門の近くで見つかった
六角形の井戸(いざない館に展示)は、
神話で
山幸彦が龍宮に行った時に
身を隠した玉井(たまのい)です。 


能に
玉井という曲目にもありますので
調べてみてください。 


また、京都府綴喜郡井出町にも
玉井という
奈良時代からある
六角形の井戸があります。
 玉井頓宮跡ですね。

 井出町は
聖武天皇の側近で
兄とも慕う橘諸兄の所縁の地でもあります。

 東遷し、
恭仁京に入る前に
玉井にいたことになります。 


 玉井(ぎょくせい)とは
参宿(オリオン座)の星官のことで、
玉を敷きつめた井戸の事です。 


井出の近くには
聖武天皇が遷都した恭仁京が
甕原にあり、
元明天皇時代からの離宮甕原宮
ありました。

 聖武天皇は
東遷の最中、
恭仁京遷都前に
伊勢国朝明郡の「礫井」に滞在しています。

 礫井は「さざらい」と読み、
近年発掘された
久留倍官衙遺跡の近くです。

礫は玉石の事で、
礫井は玉井とも言えます。

 参宿と觜宿は
神仙思想では
五色の海亀であり、
丹後風土記の浦嶋子が釣り上げた亀、
亀姫を意味します。

 亀は亀甲で六角形を意味し、
丹後の籠神社の籠目でもあり、
うみかめ、甕(カメ)になります。 


 日置部が祭祀していた
天甕津日女
鴨氏のアジスキタカヒコネの后で、
白酒黒酒の黒酒造りに
関係していました。

平城京でも
造酒司に関連した木簡に
日置薬という名前が書かれていた
と思います。 

アジスキタカヒコネは
鴨の水祭祀で
后の天甕津日女は
日置氏が土師氏系として
菅原姓になっていますから、

三輪祭祀のオオタタネコと同じ

土剋水になります。






 造酒司の井戸の屋根も
六角形でしたね。 

本来、甕(ミカ)は
酒を醸す甕で、
国境などに酒を入れ、
土中に埋める呪術的な祭祀に
使われていました。 

 また、
オリオン座の別名に
「かせ星」がありますが、

カセ(桛)は
糸巻、織物の道具です。 

 酒の甕につける封泥の銅印は
カセの形に
三つ星の穴がついています。

 神話で
山幸彦(彦火火出見)は
釣り針を探しに龍宮へ行きます。 
これは
参宿が
釣り針や釣り糸の仕掛けが巻かれた
カセでもあるからです。 

 恭仁京の真ん中には
鹿背山(カセ山)がありますね。 

甕原(甕原離宮)と鹿背山。

 日本書紀では

「まつろわぬ星神」の
天津甕星と香香背男は同一神
となっていて、

カセは
織物の道具ですから、
織物の神「倭文神・タケハヅチ」に
懐柔されることになります。

 全て符号します。

 また、東大寺二月堂の修二会も
若狭(若狭彦は彦火火出見、
若狭姫は豊玉姫)の
桂の井から水が送られます。 

桂は
龍宮の井戸の近くにある木で、

桂と卦(亀卜の卦)は同じ意味があり
玉につうじる言葉です。 


つまり、陰陽では

参宿の七曜「水局(井戸水)」と
觜宿の「火局(松明)」を合わせた
六合(六角形、籠目)であり、

六合は
「天の下のクニ」、
恭仁京のクニでもあります。 

 四天王寺三池の丸池の底にも
六角形の枠組みがあり、
甕が真ん中に置いてあります。

 四天王寺式伽藍も
また参宿だと思います。

 住吉大社、大海神社にも
玉の井がありますよ。 



 『桛星(かせぼし)と
天香香背男(あめのかがせお)』

 “かせ”は,
紡いだ糸を掛けて巻く道具。かせ。
つむぎ糸を巻きとる道具。

「桛糸」「桛木」
 紡錘 (つむ) で紡いだ糸を巻き取る
H形またはX形の道具。かせぎ。 

 オリオン座の和名の中には
 「かせ星」「かせい星」 
「かせさん」などがあり、
これらはつむぎ糸を巻きとる道具、
「桛木」の形からきています。 


 まつろわぬ神、天香香背男は
倭文(タケハヅチ・織物の神様)に懐柔され、
服従することになります。

オリオン座が、
つむぎ糸を巻きとる道具の
「桛木」だとすると、
その関係に納得できますね。



文、蛯原春比古さまに
帰属します
マネはできません!