石巻の港が「水門みなと」だった頃 ① | 開運行動すれば【その先、ヒカリ♥】

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黄泉の国、記紀を正しく知る事は、日本人として非常に大事です。
漢方養生指導士
ご縁玉と寅の日お財布さまおまじない感謝祭の提唱者です!

 
 
名取市閖上、閖上浜が
港である前に
「水門」と書いて、「みなと」と
読んでいた時代がありました
 
●(説)

古くは「名取の浦」と呼ばれていた。

 

「ゆりあげ」とは

「風や波で砂地の砂が

揺り上げられることを意味する。

いくつかの地名伝説があるそうで、

871年に

浜辺に

十一面観世音像が波に揺り上げられた。」

「以前は淘上と書かれたが、

この地は火事が多く、

水門(みなと)神社にお参りしたら

『淘』の字が悪いので、

水門の字を組み合わせて

『閖』の字をつくってあてた。」

「閖上」の表記については、

伊達政宗が豊臣秀吉からもらい受けた門を

そのまま船で運び、

この港から水上げしたので

閖上の地名が生まれたとの説がある。

 

伝説では

熊野那智神社の御神体が

この浜にゆり上げられたといい

仙台藩の四代藩主の伊達綱宗が

「閖上」と名づけた。

 
 
 
●閖上には
産鉄の跡があるのではないか。
十一面観音、淘する、近くに須賀の地名がある
鍛冶にかかわる用語がある。
 
●名取川の名称はアイヌ語からきているとされ、
「渓谷=ナイトリベツ」という説と、
かつて下流部が入江であったことから
「静かな海=ニットリトン」に語源を有するという説
 
●奈良時代、
蝦夷(アイヌ人)の南下を防ぐ目的があった
 
名取川を遡ると、
奈良時代の政庁である
「郡山官衙」(こおりやまかんが)があった
古代は陸路と共に水路が利用された
陸奥の蝦夷も
北上川を遡って討伐された
 
 
 
 
 
●古くは
「水の門(ミナト)」として
「港湾」の意味も持ち、
『古事記』や『日本書紀』では
「水門」と書かれている。
 
●「みなと」
「な」は、「の」の意
「水の門」のことであって
「河海の水の出入りする口、
みと、瀬戸、川口」
 

●十一代 垂仁天皇の子

品牟都和気命(ほむつわけのみこと)

髭が長く伸びても口をきかなかったが

ある時

高い空を飛ぶ鵠(くぐいー白鳥)を見て

初めてかたことを発した

そこで、やまのべのおおたか、という

者をつかわして

その鳥をつかまえようとする

 

木の国(紀伊)、針間(播磨)

稲羽(因幡)、多遅麻(但馬)

近淡海(近江)

三野(美濃)、科野(信濃)

高志(越前、越中、越後)

と、跡を追って

高志の国

和那美の水門(わなみのみなと)で

その鳥を捕まえて献上した

その鳥を見ても

ほむちわけ(ほむつわけと同じ)は

口を利かなかった

 

 

 

という、くだりがある

 

 

 

 

 

  

 

 

 

わたしの父方祖母の実家の
名字の、元の元
この名字が
羽黒山鳥屋神社の由緒書きに
あったのを発見!
 
 
石巻市の、羽黒山鳥屋神社に
蝦夷征討で、
石巻の港から
蝦夷が入ってこないように
奥州勅使が祈願したとある
 
「水門  みなと」が
 
石巻でも使われていました
 
 
石巻が史実に現れたのはかなり古く
 
仁徳天皇の時代
367年
上毛野田道(かみつけぬたみち)将軍が
勅命により
征夷の軍を率いてこの地に戦ったが敗れ
「伊寺水門(いしみなと)」
戦死したと記録されており
 
「伊寺水門」が
石巻の古名である
 
と、伝えられています
 
 
 
 
伊寺→いし
 

 

 

 

 
 

 

 石巻市の稲井地区へ

 

稲井地区は、稲井町でした

 

8つに分かれています

 

稲井は、井内

 

●稲井

明治22年、8つの村がまとまって

一つの村になった時

役場を置いて「井内」の語呂を通し

農業地帯として

「稲穂が井泉の如く満作であれかし」

との祈念を込めて

村の名前を「稲井」とした

 

現在は、石巻市

「稲井地区」ではあるが

地名に、「稲井」という住所なし
 

真野

アイヌ語で、人の住んでいる集落を

「マノ」

これを漢字であてた

 

 

井内

アイヌ語の「ウインナイ」より

語源を発し

「濁った流れの漂う所」の意味

 

 

●その他の地区

沼津、沢田、高木、水沼、

大瓜、南境

 

 

(石巻市立稲井小学校より)

 

 

 

この地区にある、龍泉院を真ん中に

神社、館跡が点在しています

 

石巻市内では

稲井地区を中心に存在

葛西氏の豪族や家臣が居住していた

 

竹ノ下館跡、南境館跡、箕輪館跡

大瓜古館跡、鷲ノ巣館(稲井古館)

高木古館、水沼館、水沼古館跡

三日防館、寺館跡、構館跡

出雲館跡、陣ヶ森館跡、京ヶ森館跡

鶴子坂館跡、大和田館跡、小屋館跡

などが

稲井の水田を囲むように

築かれていた

 

 

 

(石巻市立稲井小学校より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 おお!
ここも、三角の石の扁額!
 

 

 
 

 

 

 

 蛇神神社
 

 

 板碑群が、そこここにある
 
 

 

 

 

 

 

 

 

山神、秋葉山大権現

南無阿弥陀仏

 

 

 

 

子安観音さま

 

 

 牛頭観音(牛頭天王だと思います)
 

 

 上品山、ですね

 

 

 

 貴船神社

貴船大妙神、と、Googleにあります

 

 

かなり古いです

 

 

 

 

 

お社も、屋根がガタガタです

 

 
 

 

 牛頭天皇(天王ですね)
 

 

 雷神
 

 

倒れてますが、これも牛頭天王です

 

 

 

 

 

 雷神です
 

 

 維持できていませんね
 

 

扁額が、雲型

 

 

 天照皇大神
 

 

 

ここは、水沼地区の行き止まり

 

Googleマップに

「石巻 地獄」

と、あり!!

 

 

地獄とは!

 

 
 
たまたま、こちらの大地主さんと
お話できました
 
そばを流れる、真野川は
その昔、大雨が降ると、暴れ出し
川の元の山が崩れては
下流の家をなぎ倒し
土砂崩れの下敷きになって
亡くなる者も多かったという
 
それで、地獄
 
だから、ここに
山神さまの石碑を祀り
土砂崩れを起こさぬように
祈っていたという
 
 
 
だからか!
その下流に、牛頭天王の石碑が
多いのは!
 
疫病などの鎮めの意味もある
牛頭天王ですが
 
この地区に関しては
 
「祟り神」の鎮めだったのでは
ないかと思います
 
北上川という大河の支流は
大雨になると
小さな川も水かさを増し
天災を引き起こしていたと思います
 
また、雷神
 
雷は稲の成長に、大事な役割が
ありますが
 
大雨に、雷はつきもの
 
祟り神でもあります
 
 
鎮めの意味があったのではないかと
思います
 
 
 
 
虹色マカロンさんの影絵「名取老女ものがたり」
 
宮城県名取市に鎮座する
名取熊野三社の一社です