『にゅうもん!』第十二回『冷たい方程式』 | 高い城のCharlotteBlue

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書評家アイドル 西田藍さんの、書評を紹介してゆきます。
基本的スタンスとして、書評でとりあげている作品は読んだことがあるとしています。
ネタバレを気にする方はご注意ください。

「にゅうもん! 西田藍の海外SF再入門』

2016年10月号 第十二回はトム・ゴドウィン『冷たい方程式』

 元来の屁理屈こきなので、思考実験は大好きだ。
 「トロッコ問題」とか「臓器くじ問題」とかは、若いころに熱心に友人に語っては引かれていた、ような気がする。
 この『冷たい方程式』も似たような問題だとは思う。多数を救うために少数を犠牲にするのは是か非か、という考え方は同じだ。
 関連として良くあげられるのは、「カルネアデスの板」だけど、どちらかというと「トロッコ問題」の方が近い気がする。カルネアデスの板は、緊急時には自分が助かるために他人を犠牲にしても罪に問わない、というものだ。『冷たい方程式』も似てはいるけれど、その気になればEDS(緊急発進艇)の着陸を諦め、周回軌道上に待機して救助を待つ、という方法でパイロットも密航した少女も死ななくて済むようにできなくはないと思う。が、EDSはワクチンを積んでいるわけで、それを届けなければ多くの人が死ぬ。
 少女一人の命か、感染症に苦しむ多くの人の命か、を天秤にかけているわけだ。
 そういう意味で、「レールを切り替えなければ五人が死に、切り替えれば一人が死ぬ」というトロッコ問題の方が近いだろう。

 学生時代にこの「トロッコ問題」についてあれこれ言っていた時、「結局どちらをとっても人が死ぬし、法的には問題ないとしても、後で世間から責められそうだから、気がつかなかったことにする」という回答をもらったことがある。※1
 なかなか日本人的な回答だが、これも一種の解法かもしれない。気づかなかったから無罪、にはならないとしても、能動的に何かしたわけではないなら情状酌量されるべき、というものだ。
 『冷たい方程式』に当てはめると、もう少女を遺棄してもどうにもならない時間、まで「気がつかなかったことにする」ということになるだろうか。これはこれで興味深い考え方だと思う。その後、パイロットは「能動的に人を殺さなかった罪」で裁かれるわけだ。※2

 そのままEDSが墜落するに任せる、という選択肢もあるな。
 パイロットも、密航少女も、ワクチンを待つ病人も、みんな死ぬことになるが、パイロットである自分は責められずに済む。

 後から責められたくない、ということであれば、パイロットが船外に出る、という手もある。
 少女に「君は若く、将来有望だが、私はもう十分生きた」とかなんとか言って、短時間で少女に着陸シークエンスをレクチャーし、ぎりぎりでEDSを託して船外に出て死ぬ。
 健気に頑張る少女は様々な幸運に助けられて、奇跡的に着陸に成功し、ワクチンは届けられ、兄と再会して抱き合って感動の大団円を迎えるのである。やれやれ。

 さて、僕の下らない仮説はともかく、この古典的テーマが非常に出来がよかったので、後に様々なアイディアによって「方程式もの」と呼ばれるジャンルが成立したのは有名な話だ。
 この少女マリリンを助けるにはどうすれば良かったのか、というテーマとも言える。
 しかし、言ってしまえば、それは非常に近視眼的な考え方だ。

 問題に対しては、是正処置と再発防止策を講じる必要がある。
 この場合、是正処置の方は問題ない。密航者を速やかに船外に遺棄することで、EDSの目的は果たされるし、法的整備も済んでいるので、パイロットが罪に問われることもない。被害は最小限に抑えられる。
 だが、それではあまりに不十分だ。
 ISO品質監査員がこの記録を見たら目を吊り上げるだろう。
「再発防止策はどうなってるんですかっ!?」

 西田藍さんは、まさにこの点を指摘する。

地球では、今回の舞台となった、EDS(緊急発進艇)のシビアな現状が伝わってないって言うじゃありませんか。「EDS内で発見された密航者は、発見と同時に直ちに船外に遺棄する」という絶対的な規則も、周知されていない。それでいて、あっさり若い娘が密航できちゃう管理体制。真の問題はそこにあるのです。

 まったくもって、おっしゃる通り。ぐうの音も出ないとはこのことだ。
 大事なことは、起きた問題に対処するだけではない。同じことが二度と起きないように対策を講じることだ。いわゆる品質システムに関わりのある人間なら、常識として知っておかなければならないことである。ああ、耳が痛い。
 西田さんはさらに容赦ない。

彼女は、それまでに、EDSが収納してある倉庫のドアの「無許可の人員 立入り厳禁」という警告文しか目にしていない。老パイロット曰く、「彼女のような人間を保護するために(中略)誰にでも理解できる表示がなされていたのだ」そうで。ははは、ご冗談を。「無許可の人員 立入り厳禁」だなんて、お店のバックヤードにも書いてある。

 周知、管理、識別、教育訓練がまるで為されていないというわけだ。耳が痛すぎる。むしろ、ちょっと胸が痛い。
 そもそも、きちんとした是正処置が為されているということは、それだけ前例があったということではある。作中でも、パイロットなら一生に一度は密航者に遭遇する、ということを言っているし、頻繁にあることではないだろうが、そんなに珍しいことでもないようだ。
 問題である。是正処置が容易であるとして、再発防止策をとってこなかった。
 なぜ容易なのか、今回は何故問題なのか、これについても西田さんが鋭く切り込む。

最後の砦、船の入り口ですら、警告不十分。一般人が容易に侵入できるセキュリティ体制。この時代、パイロットは一生に一度は、密航者を見つけるものらしい。心の歪んだ男、卑劣で利己的な男、凶暴で危険な男を! そいつらは死んでもいいから、大して対策をしなかったのであろうか? そもそも、密航者は分かりやすい犯罪者(しかも男だけ!)という前例のせいで、人間を遺棄するというパイロットの精神的苦痛を、軽視してはいなかったか? もし、侵入したのが残忍な犯罪者なら? 快楽殺人犯だったら? パイロットの安全、そしてEDSの使命は? リスク管理ができていない。

 どうやら、あまりに人間が軽視されているようだ。密航者もパイロットも含めて、人命が危険にさらされれるということに対して、十分な対策がとれていないという指摘だ。
 それに、密航者が不幸なだけじゃなくて、パイロットだってしんどいだろ、ということ。
 冒頭で僕が書いたように、能動的に人を死に追いやるという苦痛を逃れるために、間違った判断をする可能性もあるのだ。それで誰も助からないのだったら、それはシステムの問題と言ってもいい。

 この問題のうんざりする点は、密航者が「やや思慮が足りないだけの、悪意のない若くて美しい少女」だったから大事になった、というところだ。
 例えば、僕のようなくたびれたサラリーマンが、ふと虚無感を感じて、通勤と逆向きの電車に乗ってしまうような感じでEDSに潜り込んだのなら、さほど悩むことなくエアロックから蹴りだして終わりだろう。
 少しお馬鹿な若くて可愛い女の子だと、そうはいかない。しかも、動機が「長いこと会っていない大好きな兄に会いたい一心で」というものだ。兄というのがポイントだな。これが恋人だったら話が違ってくる。話が盛り上がるには、あくまで少女はイノセントなものでなければならない、というわけだ。やれやれ。※3
 
 西田さんは、この少女マリリンの事例を教訓として社会運動が起こり、EDSへの密航者を作らないよう、施設にはきちんと施錠管理し、警告を見落とさないように掲示し、その危険性についての教育が義務付けられるという未来を予測する。※4

ああ、この美しい少女マリリンは、今後、ずさんな管理によって死んでいったかもしれない、悪意なき密航者を救ったのだと、マリリン法の悲劇と貢献が、語られていくだろう。社会運動のアイコンに、容姿と属性は大切だもの。マリリンが可愛くて美しい女の子であることにも、意味があったの!
彼女の死は、無駄じゃなかったんだ。


 この皮肉な感じ。たぶん、西田さんも「密航者が少女だったから大ごとに」という点にイラつかれていたのではないかと思う。
 美少女を美少女であること以上に特別扱いする、というのは西田さんの最も嫌うことのひとつだ。そこに「美少女でない者を蔑む」まで入れると完璧になる。当ブログでしばしば挙げている、西田さんに嫌われるための手法のひとつである。
 この『冷たい方程式』にはそういうところが、ちょっとあるんだよなあ。
 写真の横のキャプションに、西田さんの想いが表れている。

悲劇が悲劇であるための要素、大事なのは“可哀想さ”なんだろーな

 再発防止策の指摘からの、人が何をもって悲劇と感じるかという構造。いつものことながら、このダイナミズムは素晴らしい。
 これだから、「にゅうもん!」はたまらないんだよなあ。





※1 その話をした人は「家族への風評被害とか考えるとね」と言っていた。そう言われるとなあ。

※2 これはこれで、法学論議としては面白そうではある。なんというか、背景にディストピアが透けて見えるけれど。

※3 女性作家であるティプトリーが『たったひとつの冴えたやりかた』のラストシーンを、少女と異星生物のカップルにしたのは、ちょっと考えさせられる。ええと、あれはカップルでいいんだよね?

※4 悲観的ではあるけれど、現代の日本で同様の事案が発生したら、マリリンはネット上で猛烈に叩かれるような気はする。自己責任論とかね。マリリン法が成立するかどうか……。