『にゅうもん!』特別編・『私の中のディストピア』① | 高い城のCharlotteBlue

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書評家アイドル 西田藍さんの、書評を紹介してゆきます。
基本的スタンスとして、書評でとりあげている作品は読んだことがあるとしています。
ネタバレを気にする方はご注意ください。

『にゅうもん! 西田藍の海外SF再入門』2017年2月号 特別編『私の中のディストピア』

 

 この回は僕にとって特別なので、少しずつたっぷりと語りたいと思う。

 実は、僕が西田藍さんに初めて会って最初に言ったのは

「ディストピア特集読みました。すごく良かったです。共感しました』

だったのだ。

 

 ディストピアが特に好きなわけではないのだけれど、気がつくと結構読んでいる。SFマガジンがディストピア特集だったこの回は、特別編として三冊が紹介されているが、三冊とも印象に残っている作品だった。

 ハクスリーの『すばらしい新世界』は大好きな作品だし、オーウェルは『一九八四年』の方が良い作品だと思うが『動物農場』には思い入れがある。ベスターの『破壊された男』は一番ではないけど、ベスターは大好きな作家だ。

 しかし、そんなことじゃない。

 

 ずっと前、香港が中国にやっと返還され、スーパーコンピューターがチェスの世界チャンピオンに勝利し、ノストラダムスの預言が嘘っぱちだとまだわからなかった頃、僕はリチャード・ドーキンスの信奉者だった。

 生物は遺伝子の乗り物で、我々は利己的な遺伝子の命ずるままに動く柔らかい機械にすぎない、という考え方は心地よかったし、個々が十分に賢ければ、個人的利益の追求が直接的に人類全体の幸福につながると信じていた。

 遺伝アルゴリズムを愛し、多様性と突然変異は山を飛び越えるための切り札だ。

 大学院でぐずぐずして数学っぽいことをしている間、色々と苦い思いをして、僕の信仰はだいぶ試されるのだけれど、まあ、それはいい。

 

 西田さんが、冒頭に書いている。

 

種の繁栄を信じているか?

個人の幸福追求がそのまま種の繁栄に繋がるはずだと私は信じている。多様性は種の繁栄に必要なのだ、私のような個体も、何かしらの役に立つのかもしれない。ただ、遺伝子の器として、自分自身の幸福を追求する……。

 

 これは僕の経典の言葉そのものだったのだ。

 

 うーん、大げさに書きすぎたな。

 要するに、苦い思いで心の奥底に沈めたそれに、久しぶりに出会ったってことだ。

 

 ややエモーショナルすぎるようにも読める夢の中の描写。

 それがどんなに美しくとも、単なるユートピアでも、もちろんディストピアでもなく、どちらとも取れるものだと言うことを西田さんは繰り返し語る。

 

何も知らず、知らないことすら知らず、美しいものを見て美しいと感じ、幸福感を得ていれば、それは幸福でありユートピアに住んでいることと、一緒なのだろうか? ずっと知らないことは不幸なことだと考えてきた。知れば知るほど思考それ自体は自由になる。それはわかりきっているはずなのに、自由と幸福は直接結びついてはいないのかもしれない、と考えてしまう。自由を奪われるのはごめんだ。だが、自由を預けたくなるような何かができたとき、私は、目先の幸福感と引き換えに自由を引き渡してしまうかもしれない。

 

 長々と引用してしまった。

 でも、これなのだ。僕はここに心から共感した。というか、思い出した。

 ああ、僕もそうだったのだ。

 

 こんな風に考える人の語るSFだから、僕は心惹かれるのだろう。

 さて、ここで紹介された以下の三冊について、それぞれ語ってみようと思う。

 

オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』

ジョージ・オーウェル『動物農場』

アルフレッド・ベスター『破壊された男』

 

 次の回からだけどね。

 そうなんだ。今日のこれもまた、単なる序章だ。