小学校卒業以来ほぼ毎年年賀状のやりとりだけをしていた先生の名前を新聞のお悔やみ蘭にみつけ最期のお別れをして来ました


年賀状に

病院の通院で私の住んでいる町を通り過ぎるって書いてある事があったり

達筆な書の文字が幾らか歪んだ事があったり

そしてここ2年くらいは

先生からの返信が途絶えていた


先生は私達の担任だった50年前から

立派な禿頭で

年齢が計り知れなかったけれど

高齢な事は想像していた


実際は私たちの親世代よりすこ〜し上で

御歳95歳で天に召されました


樺太からの引き上げ者で

樺太の出身だって話してくれた事を思い出す


私は田舎っぺのおてんばだったから

男の子と言い合いの喧嘩をして

私の言葉にその男の子はショックを受け

家で親に話し

その親は激怒したんだろうと想像するが


その時私の母は

事実関係のみを先生から伝えられた様で

『そんな事言ったの⁈』

って親は多分穴にでも入って隠れたかったと思う(笑)

先生からは

その事で怒られた記憶がない

でも

言ってはいけない事だったと教えられた


本心だと

あいつも私を十分侮辱したんだから

何が悪い!真実を言っただけだ!

って思ってるけど笑笑


先生も子どもの口喧嘩としては同罪だって

思ってくれたんだと思う


でも大人の世界に持ち込んだら

私の放った言葉は

放ってはおけなかったんだろうな


仲のいい女友だちと

何とトイレの個室のドアをよじのぼって

中を覗くと言う悪ふざけをしていて

間違って

その友達でない個室を覗いてしまった時も

怒ると言うよりは

静かに嗜められて

本当に時間を巻き戻したかった


いつも優しく教えてくれた


書道が得意で

書道の時間に『美しい心』という

お手本を書いた時

後日先生はクラスの皆んなに

半紙に『美心』と書いてもってきてくれた



いつもみつめ直そうと思う


心残りなのは

卒業後一回もお会いしてなかった事

一回も同級会を開いてなかった事


小学校を卒業すると

次々と受験が続き、どこを受けたとか

就職があり、どこに就職しかたとか

結婚したとか、未だしてないとか

子どもが出来たとか出来ないとか

色々と繊細な時期だから

30年後にやろうと言い出したのは

先生だった

お別れ会では皆んなで考えて

『30年後の今日』何て劇までやった(笑)


でも30年たっても

同級会は開かれなかった

あの時誰が幹事になったか覚えている

彼はその頃県外にいた


10何くらいまえかな

中学の学年全体の大同窓会があった時

『先生が元気なうちに同級会やらなきゃね』

って別の友達と話をして

私は皆んなの近況を全然知らないけど

卒業時の実家の連絡先はわかるから

そこから何とか連絡とって

同級会の開催に向けて進めようかと

頭の中でシュミレーションシしただけで

あっと言う間に月日は流れ

そんな事は忘れ去ってしまっていた

と言うか面倒なことから逃げちゃった


先生は地区の役もやり

町の教育長もやっていた

国の褒賞も頂いていた

天皇陛下からの立派な賞状が飾られていた


お孫さんやひ孫さんに囲まれた

幸せそうな写真の中に昔のままの先生がいた


遺影の写真はいつの写真だろうか

町では80歳の時記念写真を撮ってくれるから

80歳の時だろうか


それにしても先生の写真は全部

私たちの担任だった50年前のままだった