羽生結弦に教わったこと。 | まどでんきがかり。羽生結弦選手全力応援

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僕が羽生結弦に教わったこと。

https://blues-hockey.net/update/2018/12/post-23.html
(アイスポより抜粋)

ウォームアップルームから、白いマスクをした羽生がキャリーバッグを引きながら姿を見せた。前述したように、記者室には僕1人。羽生は律儀な性格だから、体ごとこちらに向けて深々と、「行ってまいります」というように細い体を折り曲げて頭を下げ、階下のリンクに降りるエレベーターに乗り込んでいった。

そう書くと大したことないように思えるが、このとき、僕は固まっていた。体が縮こまっていた。なんてことをしてしまったんだと頭の中がグラングランしていた。実際、体は縮んでいたと思う。普段は身長183センチなのだが、この時は165センチくらいだったと記憶している。「羽生に気を使わせてしまった」「大切な勝負の前に集中を乱してしまった」と、しばらく動悸が収まらなかった。

(略)

今だから冗談めかして言えるが、本当にその時は気が気でなかった。自分はプロとして失格だと思った。大切な勝負を前にしたアスリートに、些細なことであっても気を使わせてしまっていいはずがない。羽生はこのマルセイユに、戦いに来ているのだ。それを一介の記者が、1万分の1であっても集中を殺ぐなんてことはあってはならない。

その年のグランプリ・ファイナルは、羽生にとって史上初の4連覇がかかっていた。ショート1位の羽生は、フリーでも4回転ジャンプを決め、快調な滑り出し。「よし、ちゃんと集中できてるじゃないか。世界よ見たか、これが羽生結弦だ」と叫びたかった。

(略)

フィギュアスケートは華麗なイメージがある一方で、孤独で残酷な一面を持つ競技だ。たとえば羽生は、その2016-2017シーズンはショートプログラムで『レッツゴー・クレイジー』というロック調の曲で演技したのだが、一番最初の4回転ジャンプで失敗すると、場内が「ああ~」というため息に包まれる。それでも羽生とすれば、落ち込んでもいられない。なにしろ演技は始まったばかりだからだ。場内にはアップテンポの曲が流れ、それとは対照的な重い空気の中で、ダウンしがちな自分のメンタルと向き合いながら滑り続ける羽生の姿を何度か見てきた。

今、ふと羽生のそんな姿を思い出すのは、僕自身が今、重い気持ちで1日をスタートさせることが少なくないから。アイスホッケーの学生選抜を結成し、1~2月に東京で集客試合を行う。今、そのために格闘しているのだが、うまい具合に進まないことも多く、そのたびに落ち込んでいる。

そんなとき、僕は羽生結弦を思い出す。彼は冒頭のジャンプで失敗してしまった後、どんな気持ちで滑っていたんだろう。本当は泣きたいのに、無理やり笑顔を浮かべながら、必死こい…必死に戦っていたのだろうか。それとも、何があっても冷静に喜怒哀楽をコントロールしていたのか。僕はこれから羽生結弦のように、何があっても強い心を持って戦うことができるのだろうか、と。

今年の冬、前回に続いてグランプリ・ファイナルに羽生の姿はない。今、彼は痛めた足を抱え、自分との戦いを続けているだろう。アイスホッケーを仕事にしたことに後悔はない。でも、今の気持ちを、苦しみと向き合っている今の気持ちを羽生に直接、聞いてみたい。そんなことを考えながら僕は、今年のグランプリ・ファイナルをテレビで見るんだと思う。

アイススポーツジャパン代表 山口真一



山口さんだからこそ書けるコラムです。

違う道に進んだ今、書いてくださったことに深く感謝します。



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