2024年6月7日

 

110人の作家による34組のトリオ

見て、比べて、話したくなる

TRIO パリ・東京・大阪モダンアート・コレクション
 

(東京国立近代美術館)

 

 

 

 これはなかなかおもしろい企画でしたね。東京国立近代美術館、パリ市立近代美術館、大阪中之島美術館のコレクションから共通点のある作品でトリオを組み、構成するというユニークな試み。でもTOKYO, PARI, OSAKA でTRIOっていうのはちと強引かなと。ParisではなくてRio de Janeiroならうまくいったかも。

 

 

【コレクションのはじまり】

◆左から 佐伯祐三 ”郵便配達夫”(大阪) ロベルト・ドローネー ”鏡台の前の裸婦(読書する女性)”(パリ) 安井曽太郎 ”金蓉”(東京)

 “郵便配達夫”は、東京ステーションギャラリーの『佐伯祐三展』以来の再会。

 ”金蓉”は修復なった際にどこの美術館であったか、あるいは修復を担当した東京藝大だったかで見た。その後も近美のコレクション展示では見かけたことがあるように思う。いかにも中国風の名前だが、当時の横浜正金銀行(のちの東京銀行、現在三菱UFJ銀行)の上海支店?の支店長令嬢がモデルと聞いたような記憶がある。

 

 

【都市の遊歩者】

◆モーリス・ユトリロ ”モンマルトルの通り” 1912年頃 パリ

 

◆松本竣介 ”並木道” 1943年 東京

 

◆佐伯祐三 ”レストラン(オテル・デュ・マルシュ)” 1927年 大阪

 

 

【都市のグラフィティ】

◆フランソワ・デュフレーヌ ”4点1組” 1965年 パリ

 広告が貼られていた裏面とのキャプションがあった。剥がした後の壁を作品にしたということ?

 

◆佐伯祐三 ”ガス灯と広告” 1927年 東京

 

◆ジャン=ミシェル・バスキア ”無題” 1984年 大阪

 バスキアの作品の現物を見るのは初めてかもしれない。ZOZOの前澤前社長が千葉に美術館を設立するという話を聞いたような気がするが、その後どうなったんだろう。公益財団法人現代芸術振興財団というのはすでに活動しているみたいだ。

 

 

 

【夢と幻影】

◆マルク・シャガール ”夢” 1927年 パリ

 これは上下逆さまではありません。

 

◆三岸好太郎 ”雲の上を飛ぶ蝶” 1934年 東京

 描かれている蝶が全て四翅を広げた標本スタイルとなっているのを、デザイン上の意図と解説してあったのを近美で見たと記憶しているが・・そうかな? 速水御舟の “炎舞” (山種美術館)も同様でありますね。

 

◆サルバドール・ダリ ”幽霊と幻影” 1934年頃 パリ

 

 

【現実と非現実のあわい】

#名作へのオマージュ #ヒトなのかヒトでないのか

◆ヴィクトル・ブローネル ”ペレル通り2番地2の出会い】1946年 パリ

 「ペレル通り2番地2」とはかつてアンリ・ルソーが住んでいた住所。ブローネルが当地に引っ越したことから、ルソーの《蛇使いの女》(1907年、オルセー美術館)に、自らが生み出した、巨大な頭部と2つの身体、6本の腕を持つ「コングロメロス」を登場させている・・んだそうだ。

 

◆有元利夫 ”室内楽” 1980年 東京

 これは個別作品へのオマージュではない。

 

◆ルネ・マグリット ”レディ・メイドの花束” 1957年 大阪

 これは、マグリットがしばしば描いた山高帽の男の背に、ボッティチェリの《春》(1482年頃、ウフィツィ美術館)の花の女神フローラを重ねたもの。

 

 

 

【まどろむ頭部】

◆イケムラレイコ “樹の愛” 2007年 東京

 

◆コンスタンティン・ブランクーシ “眠れるミューズ” 1910-1911年頃 大阪

 アーティゾン美術館で現在「ブランクーシ 本質を象る」展開催中

 

◆ジョルジュ・デ・キリコ “慰めのアンティゴネ” 1973年 パリ

 東京都美術館で現在「デ・キリコ展」開催中

 

 

 

【モデルたちのパワー】

#お決まりのポーズ #私たちくつろいでます

◆アメデオ・モディリアーニ ”髪をほどいた横たわる裸婦” 1917年 大阪

 

◆萬長五郎 ”裸体美人”(重要文化財)1912年 東京

 これは普段近美のコレクション展示の常連

 

◆アンリ・マティス ”椅子にもたれるオダリスク” 1928年 パリ

 

 

【こどもの肖像】

◆左から 原勝四郎 ”少女像”(大阪) 岸田劉生 ”麗子五歳之像”(東京) 藤田嗣治 ”少女”(パリ)

 

【女性たちのまなざし】

◆左から シュザンヌ・ヴァランドン”自画像”(大阪)、ピエール・ボナール”昼食”(パリ)、藤島武二”匂い”(東京)

 ヴァランドンはユトリロの母。キャリアの晩年は絵は描かず、ユトリロにせっせと絵を描かせて、自分はマネジャーに徹したとか。そりゃユトリロの絵が、描けば片っ端から売れるとなればその方がかしこい。東山魁夷夫人も若い時に同様の判断を下したと聞いた気がする。

 

 

【美の女神たち】

◆藤田嗣治 ”五人の裸婦” 1923年 東京

 これも近美のコレクション展示の常連

 

◆マリー・ローランサン ”プリンセス達” 1928年 大阪

 

トリオのもう1点はジャン・メッツァンジェの “青い鳥”  写真撮らず。

 

 

【人物とコンポジション】

◆小倉遊亀 ”浴女 その一” 東京

 トリオの内からこの1点だけ撮影

 

 

【ポップとキッチュ】

◆奈良美智


 


左から辻永”椿と仔山羊”(東京)、ラウル・デュフィ”家と庭”(パリ)、アンドレ・ボーシャン”果物棚”(大阪)

 

 

 

ここからは近美のコレクション展示より

 

◆藤田嗣治 ”自画像”

 

◆藤田嗣治 ”薫空挺隊敵陣に強行着陸奮戦す”(部分) 1945年 

 

 フジタは戦後はもとより、戦前からフランスでの活動が主体であり、署名はフランス風にFoujitaとするのが常であった。この戦争画は言うまでもなく従軍画家として政府から命を受けて作成されたものである。その署名は見る通りFujitaであり、内閣訓令式でないとはいえ、日本式のローマ字表記である。そこにフジタが、Foujitaと表記した場合に「フランスかぶれしおって」と誹られないようにと慮ったことが想像できる。

 戦後、戦争画を描いたことに対して戦争責任を追及する動きがあったことに嫌気がさし、フジタは日本を捨ててフランスに帰化する。ただし、フジタ自身は「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ」と語っていたそうだ。時代に媚びるばかりのご都合主義者たちへの彼なりのメッセージに違いない。

 

◆和田三造 “南風” 重要文化財 

 

◆小磯良平 ”肩掛の女”


 私 小磯良平作品一つ持っている。もちろんリトです。

(ご参考)「婦人像」



◆パブロ・ピカソ ”ラ・ガループの海水浴場” 1955年

 

同上(拡大)

 

同上(拡大)

 

◆伊藤深水 ”聞香” 1950年

 

同上(拡大)

 

◆鏑木清方 ”初冬の花” (部分)
 伊藤深水は鏑木清方の弟子。キャリアの初期は挿絵や版画がむしろ中心だったと理解している。やがて本絵に本格的に取り組み、名を成したのはご承知の通り。清方の同時期の鰭崎英朋や、清方のライバルであった小村雪岱など、技量では負けないはずだが結局挿絵画家としての道を貫いた。「惜しい」と思うのは素人の不遜な感想だろうか。

 

◆北野恒富 “関取” 1942年

 

 北野恒富作品は“TRIO”展の後期に展示がある模様(“淀君”)。中之島美術館の所蔵だが、中之島へ行った時ではなく、東京のどこかで見たように記憶している。北野作品は独特の怪しさがあって好きだ。

 

 

 いや~みごたえありました。ちょいと疲れました。といいつつランチした後日比谷図書文化館、国立映画アーカイブとはしごして、最後は江戸深川資料館小ホールでの落語会(菊之丞×兼好二人会)。脳みそフル回転!