Wはマイク室に入った。
「誰だ? 今、マイクでしゃべったのは。」その話し方は事務的で穏やかだった。だが、周囲を威圧した。
「公開中だぞ。」と、あえて私らの方に目を向けた。
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「俺だ!」とボス。
「まずいでしょ。」とW。
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プールは公開中である。あくまでも適切に業務を遂行すべきだ。Wはこの立ち位置に徹した。
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だが、ボスは、いささか戸惑いながらも怒りは収まっていなかった。
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もちろん、Wも怒っている。
しかし、それを隠すすべをわきまえている。
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ほどなくこの回の公開時間が終了した。じっくり話し合うしかない。
Wは公開時間が終ったことも頭にあり少し強い態度に出た。
その時の様子を文字化するのはいささか困難なので控えておこう。
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ボスは納得した。と、いうか、納得せざるを得なかった。
私らに非は無かった。
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「私らに任してはくれませんか?」
Wのこの最後の一言で事態は終結した。
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かくして、少々難しい事態を経由して先行チームは業務のすべてを私達に委ねこのプールを去った。
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職員が私達に向けた期待は大きかった。私達もそれだけの仕事はした。
着任から数か月後にはWも私も日本水泳連盟第Ⅰ種指導員と日本赤十字社水上安全法指導員の二つの資格を取得した。
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同区は水泳教室を何度も開催し高評を得た。
一般公開中に無料の講習会も行った。
ゼロから始めて立派に泳げるようになった人もいた。
スイミングスクールと同じ感覚でやって来る利用者も少なくはなかった。
高額なスイミングスクールにもひけを取らない講習を毎日おこなった。
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ちなみに、子供水泳教室の卒業生が、その後年を経てこのプールのライフガードになっていた。
当時のライフガードに憧れていた、と後日、耳にした。
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ライフガードの仲間も増えた。
その一方で一日だけでやめて行くものも少なくはなかった。
私達にとって当たり前なことも厳しく感じたらしい。
浅いプールだが質を下げたくはなかった。
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節目の納会ではプールだけでなく施設全体を使って遊び回った。
そのためさすがに職員から厳しい指導を受けた。
夜中の二時に武道場の太鼓を打ち鳴らせば叱られても当然だ。
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休館日の前日は勤務が終った後、皆で六本木へメシを食いに出た。
ご飯お替り自由のカレー屋があった。
チャコという名のステーキ屋が安くてボリュームのある美味いステーキを出していた。
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当時は今ほどではなかったが、それでも小ぎれいなかっこの人が目立った。
だが、ライフガードは相変わらず素足にゴム雪駄。夏場はTシャツにバミューダというおきまりの服装だった。
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車は近隣の区の施設付近に停め、フロントガラスに「〇〇係長下ライフガード〇〇」と大書きした紙を置いた。
もちろん、違法駐車だ。
しかし、取り締まりを受けたことはなかった。
後日、「俺の名前を出すな。」と係長に文句を言われた。
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だが、蜜月の時期はあっという間に過ぎた。
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業務委託の話が持ち上がった。
ほぼ時期を同じくして、その頃流行りだしたスイミングゴーグルの使用の可否でも職員とライフガードの意見が対立した。
※「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。