昨日一昨日と24時間テレビが


放映されていました。




そして毎年の決まり事。



中1になった娘が貯金箱を持って、


友達と一緒に


武道館へ行った事を思い出していました。




感動したり、


複雑な思いに首を傾げたりしながら…、


所々視ていました📺




ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ




昨日、


来週からの帰宅に備えて、


半分物置きみたくなっている😆


息子の部屋を片付けていた時に、


なぜか息子の部屋の本棚から


娘の中学時代の文集を見つけました😳

いつからここにあったのか?!




その内容が


特別支援学校や視覚支援学校との交流や、


障害者やバリアフリーなどについて


勉強した後に書かれたもので、


なんてタイムリーなんだろう😳!!


っと、驚いてしまいました。





内容が良いとか悪いとかではなく、


久しぶりに娘の書いたものを


紹介したくなったので、


お時間ある方に読んで頂けたらと思います。




まだまだあどけない娘の文字が愛おしい…。





人が助ける

         1年⚪︎組 ルル家〇〇


私たちは後期のHRで

(コミュニケーション) (障害)

について学習してきた。


そしてその学習の中で、

社会の人たちと正しく接するための知識を

身に付けることができた。


この(社会の人)の中には、

足が不自由で車椅子に乗っている人や、

目の不自由な方など、いわゆる(障害者)

と言われる人たちも含まれる。


しかし私は今回の学習でこの人たちに、

障害者という言葉は

不適切であるということを知った。


私たちが障害と言っている事は、

彼らにとっては障害ではなく、

私たちに苦手なこと不得意なことが

あるように、

できにくい事できない事があるだけなのだと。


だから、

彼らだって私たちと同じように学校に通い、

遊び、学んで生活している。


生活の中で自分1人でできないことを、

人に助けてもらいながら、

生活することも私たちと同じだ。


このことが分かった時私は、

障害者に対して持っていたイメージが

一気に覆された。


今まで障害と聞くと、

日々の生活に困っているという

イメージだったが、

今では私たちと同じように生活していて、

ただ不得意な事できない事が

少し多いだけなのだというイメージになった。


しかし、私たちと同じように

生活できるからといって、

助けが必要ないわけではない。

やはり、

車椅子の方が電車やバスに乗るには

他の人の手助けが必要だし、

目の不自由な方が横断歩道を

渡ったりする際にも周りの人の配慮が必要だ。

また、最近ではバリアフリーとして

階段の代わりにスロープがあったり、

点字がいたるところにあったりする。

これも障害のある方にとっては

大きな助けとなっているはずだろう。


しかし、

障害のある人にとって1番必要なのは

このような整った環境ではないと思う。


一番必要なのは「人」による助けだと思う。

だからこそ私たちは、

接し方を学んできたのだろう。

だから私は積極的に、

正しく助けて行けるようになりたい。








中学1年生の書いた文章ですので、

賛否両論、ダメ出しもあるかと思いますが、

娘の思いを読んでくださり

ありがとうございました♡





私はこれを読んで、


久しぶりに娘に教えられた気がしました。



私はかつて、障害者ヘルパーの仕事を


していましたが、


娘は私に、気持ちも新たに


正しい理解のもと正しく接する事の大切さを


再認識させてくれました。





実はワンズのお散歩中に


時々出会う人がいるのです…。

娘ちゃんお見通しだったのかな⁈🤔




今度会ったら、


勇気を出して声をかけてみます。


押し付けではなく、


相手を尊重して断れる雰囲気を大事に。

だよね? 娘ちゃん!







娘ちゃん、ありがとう♡


ダラダラ母さんの肩を叩いてくれたね😊












朝んぽ快調🐾 テオも快腸💩😆




さて、肩凝り体操して片付け続行します。





おしまい。