夕方になって、
飼い犬のハッピーの具合が悪くなり、
急患で獣医さんに連れて行く事になった。


ホントなら
息子を付き合わせたいところだったが
あいにく留守で…。
仕方なく
1人で連れて行く事にした。


車の助手席にハッピーを乗せて
ガレージから車を出したそこは…。


人々の当たり前の日常だった。


学校帰りの学生たち
会社帰りのOLさん
サラリーマンのおじさん
買い物へ行くおばさんやお母さん


それだけでもうダメだった。
 

娘が亡くなる前と、
世の中は何も変わらず
何事も無かったかのように
いつも通り動いている。


夕方駅の方へ向かうと
学校から帰って来る娘に
よく出くわした。


私を見つけて、
チィス(^-^)/ っと言って
片手を上げる姿が浮かんだ。

でも、

どんなに待っても、
どんなに探しても、
2度と出くわすことは無いんだって
思った瞬間、目の前が滲んで
何も見えなくなってしまった。。


そして、
20年前に交通事故で
兄が亡くなった時のことを思い出した。


当時会社員だった私は、
葬儀の3日後から会社に戻ったが、


朝のラッシュで、
仕事しながら、
夕方のラッシュで…
言ってみれば1日中、


人が1人死んだところで、
世の中は何にも変わらず
いつも通りに動いているんだよな…。


なんだかやり切れない…。
人の世の無情ってやつか…。


そんなことばかり思って、
ひたすら虚脱感と闘っていた日々を
思い出した。



あれから正確には24年…。


あの恐ろしまでの
虚脱感と悲しみは
薄れて来ていたけれど
寂しさは募ってた
兄を思わない日は無かった。

そして、

目の前にある日常は
当たり前しじゃないって事を
ずっと念頭において生活して来た。


息子が不登校になった時には
さらに小さな日常の出来事も
奇跡なんだって思った。


だって、あの頃の私は
息子が制服に着替えられただけで
奇跡!!って思ったんだから。。

 

私の日常は
小さな奇跡の積み重なりから
成り立っていること、
人間はある日突然
死んでしまう事があるってこと、
だから今日がある事の奇跡に
いつも感謝してたのに…。


どうしてまた同じ思いを 
味あわなければいけないのか…。


感謝の思いが足りなかったのか…。


神様の仕業だとしたら
教えて欲しい…


私が犯した罪を。