最近、とても自分にとって大きなテーマになっているもの。
それは「死」
ふとした瞬間に、
私、いつまで生きられるだろう?
もし明日、死ぬとしたら、今何をするだろう?
そんな風に漠然と「死」について考えたりします。
決して重い話ではなくて。
先日の定例会でも話題になり、そろそろ終活しないとね!なんて、自分が死んだらどこに遺骨を入れるか、とか。
かなり具体的な話なんかも出て、そんな歳になったんかい?なんて冷静な自分もいて。
(実際、まだまだ早い、とは思ってますけど…)
その影響もあってか、「死」が身近に感じてしまったんでしょう。
これは歳とか関係ありません。
若くても病気になりますし、年取っても元気でバリバリ現役!って方もいます。
歳のせいにするのは、勝手な世間の概念であって、刷り込みなんですね
だからこそ、今この瞬間でさえ、大切にしないといけないと思う訳です。
あなたは生きているだけで、必ず何かの役に立っています
ただ、存在しているだけで何かを与えているんです。
世界は『調和』そのもの。
つまり『愛』です。
ただ、存在しているだけで何かを与えているんです。
世界は『調和』そのもの。
つまり『愛』です。
あなたの自我が、そのことを単に忘れているだけ。
どうしても、答えは『探すもの』と思い込んでいたりします。
でも実際、答えは
『見つけるもの』『見つかるもの』です。
視点を変えて、他人の視点で見てみましょう。
『見つけるもの』『見つかるもの』です。
視点を変えて、他人の視点で見てみましょう。
あなたが接する人は、全てあなたの意識の投影です。
他人の視点もあなたの視点なんですね
これから自分は どう生きていくか
他人の視点からの他人の声、相手の言葉や行動を通して贈られるものは、『本当の自分』からの声なんです。
人間はいつか死にます。
というか肉体がなくなる、ということですが。
やりたいことをやって死ぬのと、
やりたかったなと後悔して死ぬのとでは、全く違います。
歳のせいにしないで、
言い訳しないで、
自分の心の声を聞き、もし明日自分が死ぬとわかっていたら、あなたは何をしたいですか?
誰かに何かを伝えたくなるかもしれません。
そんなことをふとした瞬間、考えてます。
いつも本当にありがとうございます



