嶺南とは、、、、
今年の3月中旬から4月上旬にかけて広東省、広西、貴州を旅した。主に嶺南地域にある茶産地を探訪するためである。訪問先で「我々嶺南地域は」という言い方をよく耳にした。
北京生まれの私だが、父親は湖南省、母親は南通市の出身。言い換えれば自分は北方人で両親は南方人。ここでふと思ったのは「南方人」という表現は、結構大雑把な言い方だということ。同じ「南方人」である「嶺南人」とは正直、どこの人達を指しているか、嶺南ってどの山を境にしているのか、今度の旅に出るまであまり気にしたことがなかった。
ところで広州で飲茶を食べたり、陳家祠堂や南華禅寺を訪ねたりして、「嶺南食」、「嶺南建築」、「嶺南禅寺」等という言葉がよく聞こえてくる。そうか、今、「嶺南地域」を旅しているんだと意識し始めた。
嶺南(正確には*を参照)は南嶺山脈の南部、主に両広(広東、広西)地域のことを言う。南嶺山脈によって北方から隔絶された地域で北方とは異なる文化圏が形成されている。今回訪ねた広東省の広州、韶関羅坑、乳源、広西省の南寧、桂林恭城はまさにその代表例とも言える。
秦始皇帝の時代に両広地域に「南海、桂林、象」の3郡を設けていた。秦末漢初には南越国が設立され、以来長い歴史の中で在地の土豪勢力の統治と朝廷間の征服戦争劇が繰りひろげられていた。
ところで「中原は遠く世界が近い」という言葉のように「嶺南」は海に面し、仏教伝来の海上ルートの港のため、多数の南傳仏教の名刹が存在する。海上交易も早くから行われたおかげで、嶺南は東西交易の玄関口となり、明から清中期まで、嶺南の広州は中国唯一の対外貿易港であった。中原ほど朝廷の政治交替の影響が強くない土地柄と多民族の集落地が多く存在するため、独特な文化が嶺南地域に育まれた。私は詳しくないだが、「広府文化」の飲茶、「潮州文化」の潮州工夫茶、「客家文化」の客家囲屋の古民居等は、その代表例だろうか。
* 南嶺と南嶺山脈の註釈:
南嶺山脈(なんれいさんみゃく、ナンリン山脈)、について
中華人民共和国の南部を東西に伸びる山脈群。この群があるかないか、かなりイメージが違うと思ってあえて「山脈群」と書く。つまりひとつの大きな山ではなく、いくつかの山脈で構成される。別名は五嶺山脈(ごれいさんみゃく、五嶺)。西から東の順に、越城嶺(えつじょうれい)、都龐嶺(とほうれい)、萌渚嶺(ほうしょれい)、騎田嶺(きでんれい)、大庾嶺(だいゆれい)の五つの山脈が組み合わさっている。
南嶺山脈は歴史的に天然の障壁となっており、嶺南(広東省および広西チワン族自治区)と中原の間の交通の妨げであった。嶺南には中原の政治的支配や文化が十分に及ばない時期もあり、華北の人間は嶺南を「蛮夷の地」と呼んでいたこともしばしば。