前回のブログで書いたことについて
私の経験を振り返ってみた

何度か書いたが
私は元々優等生キャラで真面目
それは親族が公務員や教師ばかりの環境
だったことも大きい 

その本質は
宇宙人系 スターシード
感覚派
夏休みの宿題はまとめて派
気を抜くとすぐ忘れ物
やりたいことしかできない
ダラダラで短期集中型
正直
→大人の不都合を話す
 真に受ける
 冗談がわからない

この性質を分離時代を生きる為に矯正され
優等生キャラの真面目
やりたくないけど
長女だから面倒見るの当たり前
コツコツしなきゃ
制御するためにしなきゃ思考に支配される
軽くでは無理だから、強力に管理
→頭脳派、頭使う仕事、経営を学ぶ
正直に話すと大人が不都合
→話せない
冗談か本当かわからない
→そのまま受け取らず、鉄壁の壁を構築

元々の性質と幼少期から求められた気質が
真逆だった故に強力に自我システムで
元々の性質を管理することになった

それにより
何が元々の性質かも殆ど分からず
真逆の自分(自覚できる自我)で人生の大半を
過ごした

霊的には
それが必要だったと後に気づく
気づくまでが大変だった

強力に本来の性質を矯正する自我システムを
形成しある程度うまくいったのは
私の場合は学生時代までだった

学生時代ですら

障害の妹のいる環境で
常に他者に気を張り
尽くすのが当たり前と

強力な管理に使うエネルギーで
常に緊張状態で過ごす故に
ずっと病院に通院するも
一向に良くならず

それでもとにかく
普通、社会人を目指して努力し続けた

現代社会のことで
表(上辺、言葉)
裏(本質、行動)
のことを指摘したが

私も人生の殆どは
その表と裏が真反対で不自然に生きてきた

本来の性質を強力に矯正して

これは分離時代には
当たり前の現象であり
それが良い、悪いではなく
その時代には必要プロセスだった

ずっと分離時代に生まれて死ぬなら
そのままで良かった

しかし、分離時代から統合時代へという
時代の転換期、地球のサイクルにおいて
私達は変わる時代を選択したにすぎない

現状維持を好む人間には
ある意味難しいことだが

生まれる前は肉体がないため
そこまで大変さをわからず
ただ挑戦したい、魅力的、好奇心などで
選択したかもしれない

分かって選択しても
今肉体を持ち、自覚できる自分からは
とても難しいことに感じ

仮に自分で選んだとしても
なんでこんな選択したのか?!
と困惑したり、納得できないくらい
大変なことや辛い出来事
負の感情を味わう

ある程度、その出来事の意味を
自分だけが腑に落ちる自分の真実に
自ら気づき、それまでを昇華し始めないと
わからないもの

昇華し始めても

精神世界の自我システムの
抵抗・エラー反応

現実世界の社会システムの
社会や周囲からのレッテルや非難

それらからの影響が薄れるまで続く辛さ

地球の波動が上昇して
浄化しやすい、波動が軽くなりやすい
とスピリチュアルでは言われるが

現実視点からすれば

その影響により
現実世界が安定して見えていた社会や周りが
不安定な状況になったから

社会や他者の言うことに信憑性がなくなり

今後、延長線上の不安定な未来を想定すると
社会や他者の言うとおりにしても
良くなる兆しはないことが
思考による自我システムでも結論づけられ

精神世界で抵抗・エラー反応を起こし
葛藤を与えていたものから
その価値判断基準の信憑性がなくなることで
簡単にその不要な基準を手放すことができた
(価値判断基準形成前の状態に初期化)

社会人時代最後は
念仏のように湧き上がる

やりたくないけどやらなきゃ
でももう無理
とにかく休みたい
という本音だったが

身体の不調が重なり
いくつもの病院を通院し
気力と体力が尽きるまで
真逆の社会人や大人な行動をやり続けた

まるで地獄のようだった

退職後から一年はゆっくり休もうと決め
やりたいと思ったことをして
その後は充電して社会人へ戻る予定だった

自我システムや社会システムでの
許容範囲内なら葛藤も少なかった

再就職も体調の回復も良くならず
結局、社会人復帰を諦め
コロナまでは葛藤と対峙する日々

天国のような状況でも
その状況を喜べなかった

コロナが流行し外出禁止など
社会の大きな変化により
社会的にも自分の状況の恩恵を知る

そして、現在
現実世界の様々な要因で不安定な現代社会で

今まで隠れていた裏の情報を知り

今まで
現実世界の社会システムや
精神世界の自我システムで誘導されてきた
未来の理想、目的地、幸せや安定が

今までの経験に照らし合わせ
その信憑性が薄まることで

その呪縛(思い込み)から解放され
社会的には底辺の生き方も
天国のように感じ、人生で一番安定してる

これは、私の東洋占術の命式の影響や
個人的な性質の影響もあるかもしれない

私は社会的には
底辺で自立できてない状況でも
本当の自由を得られたと
いえるのかもしれない

情報発信も現実が叶ったらと思ってた

現実が叶う・実現する
=社会や他者から認められる状況になったら
 十分稼げるように・成功したら
 なぜなら、信憑性がないから

しかし、その根本が
間違っていたのかもしれないと
今は思う

アプリで不安になると
カードリーディングしていた

そこで「奉仕する」
というカードをよく引いてた

以前、話し手ボランティアの講座も行ったが
社会福祉協議会が主催したのに
活動はボランティアが主体で
やることは責任持たせるが
報酬は無いアルバイトのような感じ

それ以外にも
チャイルドライン
女性の電話相談など
気になることはやったが
無報酬のため
別で仕事をしながらする必要があり
本業が残業続きではとても続けられない

障害のある妹をずっと看てきて
ボランティア=社会福祉イメージ

家でもボランティアなのに
時間のない状況では無理

もうボランティアは嫌なのに
なんで?!と思ってた

今、思えば
このブログは
どこからも報酬を得てない
やりたいときにやってるだけ
でも、もしなにかのきっかけで
この情報が誰かの役に立つなら
それも「奉仕」になるのでは?と

更に、現代社会で多く使われる意味は
奉仕する
=利害を離れて国家や社会などのために
 尽くすこと
=商人が品物を安く売ること

しかし、元々本質的には
= 神仏・主君・師などに
 つつしんでつかえること

つまり
自分の内側から繋がり
自分の創造主である本当の自分から
感じることを伝える
=神に仕える
=奉仕する

だから、今やってることも
充分に奉仕する活動であるといえる

今はそちらに集中できるように
やらなきゃを手放し
やりたいことだけする
とにかくリラックス=ダラダラする
時に動く(社会人時代の真逆へ)
のモードへ移行中

ある意味
退職前に強烈に思った
休みたい!
やらなきゃいけないことやりたくない!
を実現し、心の平和を取り戻した
=現代社会や他者に認められなくても
 夢が叶ったといえる

更に
現代社会においての意味では
本当にしたいことと一致してないと

その頑張りや努力に
対してお金は得られないが

責任感・使命感や
役に立つ、してあげてるからの
承認欲求を満たす

それが得られないと不満を持つ

お金を得ずに自分のやりたいことをする
=神に仕える

こちらは、
現代社会の
目に見える報酬や
目に見えない報酬ではなく

循環の中の恩恵として巡ってくる

そんな氣がしている

今、働いて稼がなくても生きていける

現代社会的には
親のおかげではあるが
それを許される環境であり
貯金は減ってるが
衣食住に困っていない

もし、退職後一年で無理して自立し
東京へ移住したり
地元で一人暮らしや再就職をしたら
今の精神や環境ではいられなかっただろう

うまくいかなかったことが
本当に良かったと今なら分かる

稼がなくても
うまくいく
生きられる

以前紹介した山納銀之輔さんが
山の循環生活で一年半稼がずに生き
稼いでる今でも、その不便そうな暮らしが
最高に幸せだったという

現代社会が提示する理想モデルを
実現するために稼ぐ必要はもうない

現代社会で言われる方法ではない
お金を介さない
循環の中での豊かさや報酬が巡る
そんな新しい時代を感じる

現代社会では認められなかったから
レッテルを貼られるから

豊かさや恩恵と認識しなかっただけで
既にそこにはあったこととも言える

不安定・不確実な社会だから
不自然な誘導から解放され
自然で既にそこにあった恩恵に気づける

だから、これから人間社会において
不都合なことが起こっても
それは後々ギフトであったことに
気づくだろう

そして、気づける人たちが生き残り
新しい時代や新しい地球を
地球や見えなかった存在と共に
創造しながら生きていく

そのステージが始まろうとしている