昨日は冬物を沢山お洗濯しました。

節約でクリーニングに出さなかったオシャレ着をホームクリーニングしながら衣替え。

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愛用のホームクリーニング専用洗剤・ハイバックで綺麗に仕上がりました。

 全部で15着、やりきった yumikaですニコニコ

 

 

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祖母の四十九日法要も済んで、物理的な片付けも落ち着いてきました。

 

いや、片付けはまだあるなぁ。

最後が見えてきた感じですね。

 

 

 

こういうことを書くべきか悩みましたが、老衰だったり病気だったり最期を迎える家族がいる人の参考になればといいなというのと。

 

自分の記録用に残しておきます。

 

 

一番最後に、葬儀関連・孫世代の出費についても書きますね。

 

興味ない方はここまでにしておいてください。

 

※すっごく長いです※

 

 

 

=============

 

 

 

 

[登場人物]

 

◆89歳の祖母

◆おじ=(祖母の)長男・現役サラリーマン

◆いとこ=おじの子・会社員で一人暮らし

◆母=(祖母の)長女=yumika母・専業主婦

◆私(yumika)・会社員

 

祖父と長男嫁は他界。

 

 

 

 

祖母は軽度の認知症で要支援1、おじと同居。

 

 

要支援1がついてるとはいえ、日常の家事はほとんど祖母が担っていて、元気にしてくれていまして。 

 

認知症の症状(出方)は人それぞれです。

祖母の場合は、嫌なこと何一つ言わず、変な行動もありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それが…、昨年の8月。

 

 

 

急激に痩せたのが不自然すぎて。

 

検査してもらうと、末期の胃癌。

 

すでに肝臓・肺にも転移していました。

 

 

 

 

 

 

高齢だから進行は遅いはず。

 

末期ということはもう何年も前から癌だったんです。

 

 

 

 

高齢なこともあり祖母は全く痛みを訴えることもなく発見ができませんでした。

 

 

 

 

 

仮に80代前半で発見できていたとしても。

 

完治する治療があったのか?

年齢的に治療に耐えられたのか?

 

 

 

もし早期発見していて、本人が苦しい治療を受けていたなら…ショボーン

 

 

 

かえって気づかないまま末期で発覚した方が幸せだったかもしれません。

 

 

 

 

 

 

お医者様には、余命宣告はハッキリとできません

 

治療じゃなく緩和ケアで最後まで日常を過ごせるようにしていきましょうと言われました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とは言っても、この時点で日中はひとりで問題なく過ごしていた祖母。

  

 

もし何かあってはいけないから、母と私が週に3回ほど顔を出すようになりました。

 

 

 

 

 

基本は見守り・話し相手になるため。

 

 

あとは少しでもカロリー摂取してもらいたくて、あの手この手で高カロリーの食べ物を口に入れてもらっていました。

 

エンシュアなどの高カロリードリンクは本人が受け付けず、お医者様にも無理させる必要ないと言われました。

 

 

 

 

 

帰るときは玄関先まで見送ってくれて。

 

 

そのときだけ寂しそうな顔をするのが、いたたまれなかったな。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

11月中頃、徐々に体力も落ちていき、階段の登り下りが出来なくなりました。

 

 

 

 

 

 

12月には起き上がるまで時間がかかるようになり。

 

段差のないところでも手すりを持ちながらしか歩けなくなくなりました。

 

 

 

 

 

それでも年末になると、鏡餅・おせち料理・お雑煮などなど。

 

気になるようで、私と母で手伝いながらお正月準備を済ませました。

 

  

  

 

 

 

元旦にはお年賀挨拶もできて、ホッとしたのを覚えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小正月頃から、日中もほぼベッドで過ごす状態になっていきました。

 

 

 

ベッドで寝ているだけとはいえ、ひとりの時間に何かあってはいけないし。

 

 

 

お医者様からも長くて1ヶ月と言われたしね。

 

 

 

 

 

なるべく長い時間、誰かが祖母宅にいるようにしました。

 

 

 

週末はおじ、在宅ワークの日は私、他の日は母といとこで交代。

 

 

 

基本はおじが出勤するのと交代で着くように行って、帰ってきたら帰宅というスケジュール。

 

 

 

 

これが1週間続いたころかな?

 

祖母が寝ている時間が多くなり、死に近づいているのが目に見えてわかるんです。

 

 

 

 

 

 

一番つらかったのは一緒に住んでいるおじ。

 

ホスピスに入れようと言い出しました。

 

 

 

 

癌がわかってから、訪問看護サービスを利用しながら、なんとかやってきたつもりだったけど。

 

おじは限界だったんですね。

 

 

 

 

 

おじ

ホスピス希望

 

VS

 

母・私・いとこ

自宅で看取りたい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホスピスのお世話になることが悪いことだとは思いません。

 

状況によっては仕方ない人もいるし、それが幸せの形という人もいます。

 

 

 

 

ただ、うちの場合は。

 

候補のホスピスはコロナ禍で、面会禁止

 

オンライン面会はお手伝いしますという程度で、あまりにも祖母が可哀相だったんです。

 

 

 

 

 

 

おもーい話し合いが繰り返され、看護師さんにも相談しながら。

 

 

 

 

おじは家で看取る決断をしてくれました。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

家で看取ると決めたからには、ホスピス反対派だった私たち(母・いとこ)3人も今まで以上に協力体制を整えました。

 

 

 

 

おじはみんなに対して、迷惑をかける・申し訳ないって考えが強すぎて、ホスピスを希望していた部分があったんだけど。

 

 

当の私たちは出来る限りのことをしたい一心でした。

 

 

 

 

 

 

介護といっても、本当に手がかからなくてね。

 

・定期的に水分補給

・何か一口だけでも食べてもらう

・1日1回の清拭

・ポータブルトイレまで移動介助

 

おむつじゃなく、トイレの意思表示もしてくれたから“下の世話”はほとんどしてません。

 

 

 

 

ただ、夜のトイレはおじが睡眠不足になってしまうこともあり、交代で泊まり込むことになりました。

 

 

 

 

 

 

亡くなるまで約2週間。

 

 

おじ・いとこ・母・私。

 

 

たぶんみんな記憶がないくらい、自分たちの仕事・日常・家事をこなしながら、祖母に寄り添っていたと思います。

 

 

 

 

私は。

 

祖母宅で在宅ワークして、夜は泊まり。

翌日は会社に出勤。

 

仕事後に祖母宅に行って夜は泊まり。

翌日は祖母宅で在宅ワーク。

 

こんなパターンでこなしてました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは時系列で備忘録的に記します。

 

 

亡くなる13日前

 

 

起き上がってソファに座ると言い出して、みんなでお菓子を食べました。

 

受け答えもしっかりして、本当にごく普通に話をしたんです。

 

 

久しぶりにお風呂に入りたいとも言ってたな。

 

これはドクターストップで叶えてあげられませんでした。

 

 

亡くなる直前あるあるのひとつかも。

急に元気になって、食欲が増す説。

 

 

 

 

 

亡くなる10日前

 

 

いとこが清拭をしようとしたら足に紫の斑点を発見。

 

看護師さんに来てもらい、チアノーゼが出始めてると説明を受け。

 

これ、出ると本当に死がすぐそこまで迫ってると言われました。

 

 

 

 

 

亡くなる8日前

 

 

夜中だったかな。

ポータブルトイレに介助したら大きい方が!

 

これも亡くなる直前あるある。

排泄して綺麗な状態で旅立つ説。

 

 

 

2週間以上、便秘(というか、ほぼ食べてない)から上手く出せなくて。

 

 

ベッドの上で横になってもらいトイレ介助しました。

 

(ビニール手袋はめて指を穴に突っ込んで、出すお手伝いをします。)

 

 

 

この日から亡くなる日まで、定期的に便意の訴えがありましたねぇ。

 

私が当番してる日が多くて。笑

ある意味、良い経験をしたなー。

 

 

 

それでも“下の世話”をしたのは、大きい方のときだけで、他はポータブルトイレ使ってたからね。

  

 

 

 

 

 

 

亡くなる5日前

 

 

話すことができなくなってきました。

 

 

思い出話をすると、頷いてくれて少しだけ声を出す場面もあったかな。

 

 

全身の浮腫みが酷くて、マッサージしてあげると安心して眠ってくれました。

 

 

 

 

 

亡くなる3日前

 

 

水分補給はストローで自力で吸い込んでいたのが難しくなりました。

 

らくのみを使うように。

 

 

 

 

 

亡くなる2日前

 

 

祖母はおやつの時間に珈琲を飲む習慣があって。

 

飲んでみるか聞くと、飲みたい!と。

 

 

らくのみにほんの少しだけ入れてあげると2口、飲んでくれました。

 

 

 

自分の好きないつもの味で嬉しそうだったな。

 

 

 

 

 

亡くなる前日

 

 

この日の日中当番は母で、私は仕事帰りに交代して泊まりの予定でした。

 

 

夕方から本当にもうダメそうな雰囲気がして。

 

結局みんなで泊まりました。

 

 

 

 

 

今まで痛みやしんどさを言わなかった祖母。

  

 

ほとんど話すこともできなくなったのに。  

 

最後の力で「しんどい。熱があるみたい。お医者さんを呼んでほしい。何か薬はないか?」と…。

 

これ、よっぽどツラかったんだと思います。

 

 

 

 

 

 

そのまま意識がなくなって、しばらく。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みんなで最期を看取りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コロナ禍で田舎に帰れない、祖父母や両親に会うのを控えている人がいる中で。

 

 

私たち日常生活を送っている者が祖母を介護するということは、感染させてしまう可能性だってあったわけだけど。

 

 

それでもやっぱり自分たちで看てあげたかったんです。

 

 

 

 

 

 

 

自宅⇆職場⇆祖母宅が同じ生活圏内だったから、私も積極的に関われたのかもしれません。

 

 

 

 

もうひとつ。

 

仕事をしてる私が、こうやって協力できたのはコロナ禍だから。

 

 

在宅ワークで時間調整が自由にできて、仕事をしながら見守れたから。

 

 

 

 

コロナは嫌だけど、コロナ禍という環境があったからできたことだと思います。

 

 

そうじゃなかったら日中は母ひとりで面倒を見ることになり、厳しかったかも。

 

早々にホスピスにお世話になっていたかもしれません。

 

 

  

 

 

 

 

 

あと、母方の祖母だからできたことかな。

 

私が初孫で、すごく大事にしてもらったから。

 

 

 

父方の祖母(ずーーーーっと同居で今は施設にいる)のお世話はムリだと思う…ムキー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長ーく書いてしまいましたね。

 

 

 

 

 

 

〈結論〉

 

 

最期までの時間を自宅で過ごさせてあげれて、本当に良かったです。

 

最初、家での看取りを反対していたおじも、本当に良かったと言っていました。

 

 

 

 

実現できたのは、かかりつけ病院の看護師さん・ドクターのお陰でもあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

みんなで協力して24時間・誰かが家にいるようにしたのは、たった3週間。

 

 

 

 

 

おむつ交換もなく“下の世話”もほとんど必要なくて。

 

自分で寝返りしてくれるから、褥瘡の心配もありませんでした。

 

 

だから現役で介護・看護してる人とは比べ物にならないくらい楽だったはずです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも正直いうと、しんどかった!!!!

 

   

 

 

それぞれに自分の仕事と家の家事があるんだから当然のこと。

 

 

 

 

 

 

世の中のみんながこの方法を取れるとも限らないけれども。

 

 

 

もし迷ってる人がいれば。

 

 

何とかなるよ!

 

 

とだけ言いたいです。

 

 

 

 

 

 

 

ご静聴ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

<孫世代の役割・出費>

 

葬儀場での供花。

 

これは地域の風習とかあるのかな?

 

相談して、孫一同で1対(22,000円)をお願いしました。

 

 

 

 

四十九日法要の粗供養も孫一同で準備。

 

価格帯も相談して1,000円くらいのをお参りに来てくれる世帯分。

 

 

 

孫世代年長者の私がぜんぶ手配して、孫4人で完全割り勘しました。

 

 

私の出費は9,959円でした。

 

 

 

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