第 44回 『もう説』の東アジア史 (ミステリアスな魔除け) | お試しブログ

第 44回 『もう説』の東アジア史 (ミステリアスな魔除け)

獅子 (シーサー) に石敢當 (いしがんとう)  、ヒンプン、鬼の股 (ウニヌマタ)、土帝君、フーフダ、石の魔よけ、貝の魔除け、塩、木、草、葉、紙、土など‥ 沖縄県には、数多くの「魔除け (まよけ) 」が存在する。


「魔除け」は家の門や部落の入口、屋根の上や四方の回りかど、置いたりしています。


中でも「魔除け」の方が怖いのでは?‥ とも思える「魔除け (まよけ) 」が存在する。


その魔除けは「島くさらし」と呼ばれています。


島くさらし (別名・看過牛 / クヮンクヮー)と呼ばれる「魔除け」の風習は、主に2月上旬に行われる悪疫払いの行事で、屠 (ほふ) った牛の血をススキや草木で編んだ左縄 (ひじゃいなー) に浸して、


縄と縄の間に牛の骨を結び、家の門や部落の入口、門や柱、木などに縄を結んでいる。

沖縄県のみならづ、奈良時代、平安時代にも「牛を殺生する祭祀」を禁じる『お触れ / 法案』の文献が見られる事から、日本全国に古くから牛に関する儀式があったように思われます。*豚や山羊の血を使用 (代用) する場合もあるが、本来は牛の血が正しいと云われています。

関係しているかは?‥

奈良県の大神神社 (おおみわ / 大三輪) にも、木と左縄の門があるようです。


http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-12030310891.html 江戸時代まで流行していた疫病神・牛頭天王 (ゴズてんのう) と牛頭天王の8人の王子 → 八王子権現の信仰や「犠牲の牡牛」とも通じているかもしれません。


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魔除けである「島くさらし」は、別名・看過牛 (クヮンクヮー) とも呼ばれています。看過とは、手+目→ 看 (み) て→過 (す) ごす→看過 (みす) ごす儀式
→災いが過ぎ越していく”の意だとも云われています。

オカルト説によると、
看過牛 (島クサラシ) の魔除け儀式は、旧約聖書などに見られる古代イスラエルの「過ぎ越し祭」と同じで、看過という言葉の意味と同じなので‥と、いう人もいます。

古代イスラエルの「過ぎ越し祭」では、子羊の血や朱色 (血の色) を門や木柱に塗っていたといいます。https://kotobank.jp/word/過越の祭-844982


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もしかすると?‥
あの時の

悪い神・サーカ様と良い神・ミルク様の説話を紐解いて、サーカ神はお釈迦様に見立てたキリスト ⇔ ミルク神は弥勒様に見立てたミトラス‥と、考えてみました。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-12017637610.html 古代ローマでは、新興宗教であるキリスト教が流行する前は ⇔ ミトラス教が流行していました。


http://ja.m.wikipedia.org/wiki/ミトラ教

確かに、中国や日本の古い信仰には、キリスト教に似た風習や儀式が存在するが、キリスト教よりもミトラス教の方が古く、キリスト教とミトラス教は似ていると云われています。*東方キリスト教の聖地・長安は東方ミトラ教の聖地でもありました。


遣隋使、遣唐使の船も東方ミトラス教の聖地・長安を訪れていました。

長安で流行していた明教 (マニ教)、祆教 (ゾロアスター教)、景教 (ネストリウス派キリスト教) といった西方起源の「三夷教」の3つ信仰すべてに ミトラス教 が隠れていたと云われ、祆教 (ゾロアスター教) から派生した景教 (ネストリウス派キリスト教) → 明教 (マニ教) という仕組みになります。

牛を屠殺信仰する ミトラス教 は各宗教に隠れながらも 東西南北 さまざまな形態、伝路により仏教の中の弥勒信仰にも通じていました。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-12017637610.html

その後誕生した『明 (みん) 』の国名の由来は、明教 (マニ教) の「明」で、 明教 (マニ教) は 祆教 (ゾロアスター教) から派生し、景教 (ネストリウス派キリスト教) とも混合したり、分裂したり、隠れたりもしているといいます。*明教 (マニ教) や弥勒信仰の源 (みなもと) にはミトラス教が隠れています。


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実はというと‥
首里城の入口にも『明 (みん) 』の時代に建てられた朱色の門 (通称・守礼門) があります。


『明 (みん) 』朱色にかなりこだわっていました。


その時代 (明の時代) は、琉球は尚清 王の時代、日本は室町時代、そして日本各地で「一向一揆」が盛んな時代でありました。

「一向一揆」とは、一向宗 (別名・浄土真宗) とそれを支持する民衆が起こした反乱だと云われています。彼らは、一向 (ひたすら) 念仏を唱えて踊り歩く (極楽浄土を求めて) ため、一向宗とも浄土真宗とも呼ばれていたようです。


その後しばらくすると‥


朱色の門 (通称・守礼門) には、「守礼之邦」という額が設置されるようになりました。

「守礼之邦」という文字には、『明 (みん) 』に礼をする‥という意味があります。そのため、朱色の門 (通称・守礼門) は『反日の象徴?』だという人が net 上では、よく見られます。 http://s.ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12018604964.html ⇔ しかし、その『考え』は非常に変です。

その門が建てられた時代背景を見渡すと、その『考え』は非常に変だという事が解ります。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11569774541.html 

おぎやか事件 → おっぱい事件 → 尚清 王の時代背景 http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11570126878.html 尚宣威 王 (負け組) のお墓がある地域はエイサー (念仏廻り) が盛んな地域 = 闘牛が盛んな地域 → 牛頭天王 (疫病神に関する信仰) 、 弥勒信仰に隠れたミトラス教 → どこかすべてが通じています →


人々は、疫病を恐れて牛頭天王 (ゴズてんのう) ‥




これからも、その事を考えて見ようと思います →