2015年1月。
わたしにとっては突然に
身体の調子が急降下したように感じた。

朝起きて、不整脈を感じ、一日中不整脈がつづく。
不整脈が苦し過ぎてごはんを食べることがままならない。
横になっても不整脈が止まない。

1月から3月にかけて、不整脈がつづいたり
突然快調になったりを繰り返しながら
女性ホルモンだろうか?
食事だろうか?
と、いろいろと試してみる。
身体へのアプローチではなかなか改善する兆しはない。

潜在意識からの
さまざまな解放がおきている。

ということは
わたしの中で疑いの余地はないのに
なぜこの症状がでるのか頭で理解できないことが
これほどにストレスであることを実感する。

あまりにつづく不整脈に
次の瞬間に死ぬのではないか
と感じるまでに精神的にも衰弱しはじめた。

隣で可愛い寝息を立てている
小さなこどもたちを眺めながら

できることなら
まだ
死にたくない。

このこたちの成長する姿を側でみたい。

もう、
覚悟して病院にいくことだ。

近隣の循環器内科を調べる。

調べながら
高校生のころから通院しはじめた
循環器内科の先生に云われたひとことを思い出す。

「走ったら死にますよ」

当時、バスケ部で念願のレギュラー入りをしたばかりだった。
中学のころからバスケ部。中学時代はどうしても2番手になっていたところから
高校一年生でレギュラーを獲得したことは
わたしにとってものすごく嬉しいことだった。
でも、不整脈の診断と先生のこの言葉が
わたしを新たな試練にぶち込んだように感じていた。
わたしはかわいそうなんだ。
と、自分を被害者にするようになった。

先生の言葉を思い出し、
同時から20年も経つのだが
先生に対して
ものすごい怒りと憤りを感じていたことが立ち現れてきた。
当時、そういわれたことへの恐怖心や悲しみを誰とも分かち合えず、いじけていた自分をありありと思い出す。
人を傷つけ自分を傷つけることで自分を保っていた不器用な自分を思い出す。
同時に両親に対しても怒りを感じていたことを思い出す。
もっと違うアプローチを探してくれたらよかったのに!病院に行けば安心なんて、、、わたしは病院に行き病気になったんだ‼️

怒りが半端ない。
腹の底から
細胞に眠っていた
かなしく 寂しい エネルギーが
全身を駆け巡り涙がとまらない。

さあ
病院、どこにいこうか。

病院の方針に従わなければならなかった時の想いが、涙と、当時の素直な思いを再体験できたことにより何かがすっきりし癒された。

(注 決して 当時の医師や両親を責めるためにかいているのではありません。
わたしの中にあった素直な気持ちや感情を味わえずにきたことが身体やエネルギーレベルに溜まり、わたしに影響してたことをお話ししています。
なぜだか、自分に降りかかることを誰かのせいにしたがったり、目の前のひとが不安や悲しみの中にいると自分を責めていたのを自覚していたしなんとかならないか?と思ってもなんともならない繰り返す根源にこのような想いがあったということなんです)

病院にいっても
治療方針は
自分が希望をもつ方向で決めていけれるのだ
というおもいが自然とわき、
やっと、病院に電話をした。

予約をし、電話を切った瞬間から
全身が震えだす。
なんだこれ。

こわいんだな。
細胞から
こわい がでてきてる。

身体中くらくらになりながら
やっとのおもいで病院についた。

はじめましての
先生に
脈をとり
不整脈があることを告げられる
そして

「大丈夫ですよ。ふたりのこどもを産んでいらっしゃるのですから、身体は強いのですよ。」

不整脈があるのに
大丈夫
と、
医師にいってもらえたのが
はじめてでした。

わたしは
そのひとことで
突然からだが緩みはじめました。

検査のレントゲンや心電図は
10年以上毎月続けていた検査。
当時と重なる。

そして
当時、どれだけ緊張し、恐れていたかを感じる。
いまは、大したことなく感じる。

検査を済ませ、
念のためより詳しい検査をして
方向を決めていきましょう。
いまはお薬はだしませんよ。

と、
いわれた瞬間
こんなに不整脈がでているのに
お薬はいらないと言ってもらえたことに
ハートに花が咲くような感覚をえる。

少しでも不整脈があると
薬を増やす?
という医師しか知らなかった。

24時間心電図の検査も
いまのこの不整脈がたくさんでる状態を診てもらいたいとはじめて思った。

以前は調子がよいときになるように願い、
心電図中に不整脈がでなければいいと、自分の心臓の動きをコントロールしようとさえしていたのだ。

さまざまな検査をして
不整脈はたくさんでていたが
心配な不整脈ではない

治療の必要がない

という医師の診断をいただく。

すべての検査がおわり医師のところへ診断をいただきにいくころには
不整脈が出なくなっていた。
あれだけ続いた不整脈が少なくなり

何より
不整脈を感じても
こわいとおもう感覚が以前は100だったのがいまは20くらいになった。
だからか、身体に負担が軽い。

こころの状態がどれだけ身体に影響するか
を実感し、
身体、こころの神秘を実感する。

そして
これほどの
恐れに立ち向かわせてもらえたのも
命の根源、大いなる存在からの愛そのもの。

わたしは
生かされてる

生きて生きて生きるんだ。

わたしの理解を超えた領域にある
なにかを
大いなる存在に委ね 
わたしの種に目をかけ芽をだしていく。
光のほうへ。一歩一歩。

そして
インドへ行く
しかない。
そう
決意したのです。