ここで第138段の背景をもう一度おさらいしておきます。

 

★中宮の父関白道隆の死後、中宮の兄二人が事件をおこし

 失脚。中宮自身も謹慎の身となる。その後、中宮は宮中

 に戻されるが、中宮に仕えていた清少納言は、道長側と

 の内通のうわさが立てられたため、実家にひきこもる。

 このエピソードはそのころのできごとである。

 

本文

 「お前には、いかが、ものの折ごとにおぼし出できこえ

 させ給ふなるものを、誰もあやしき御長居とこそ、侍る

 めれ。などかは参らせ給はぬ」と言ひて、「ここなる所

 にあからさまにまかりて参らむ」と言ひて、去ぬる後、

 御返事書きて参らせむとするに、この歌の本、さらに忘

 れたり。

現代語訳

 「中宮様は、事あるごとにあなたを思い出していらっし

 ゃいますのに。皆も、変に長いお里下がりだと思ってお

 いでです。どうして参上なさらないのですか」と言う。

 使いが「ちょっとそこまで行って、じきに戻ります」と

 出て行った後、お返事を書こうとするが、この歌の上の

 句をすっかり忘れていた。

本文

 いとあやし。同じ古言といひながら、知らぬ人やはあ

 る。ただここもとにおぼえながら、言ひ出でられぬは、

 いかにぞや」など言ふを聞きて、小さき童の前に居たる

 が、「下行く水、とこそ申せ」と言ひたる、など、かく

 忘れつるならむ、これに教へらるるも、をかし。

現代語訳

 「本当に妙だこと。同じ古歌といっても、こんな有名な

 歌を知らない人があるかしら。のどもとまで出かかって

 いるのに出てこないのは、どうして」と言うのを聞き、

 前に座っている童女が、「下行く水・・・と申します」

 と言った。どうして忘れたのか、子供に教えられるとい

 うのもおかしなものだ。


      角川ソフィア文庫ビギナーズクラシックス         

               日本の古典枕草子より