現代の釈迦・イエスと云われた大覚者・知花敏彦先生の言葉です。
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では、「神」の他に、何かがあるのでしょうか?
あるのですか、無いのですか?
「神のみが独存する」と。
そうなりますと、皆さん方は、
「今から神に成ろう」とするのですか、「神そのもの」だったのですか?
「成ろうとする」ということは、「今は、神ではない」という否定、神を否定していることになりませんか?
否定論ですか、肯定論ですか? どっち? 否定論、肯定論?
では、否定すべきものがあるのでしょうか、肯定すべきものがあるのでしょうか? どっち?
「神しか無いなら、何を否定しますか?」ということなのですよ。
「神が全てを創り、神が全ての中に宿っている」
そうなりますと、「無限なる神が全てを創り、無限なる神が全てに宿っている」なら、
全ては無限ですから、「何を否定して、何を肯定するのですか?」と、本当は言いたいのです。
「全てが神」ならば、その世界に否定すべきものがあるの? ある、無い?
肯定はありますね。「全てが神だ」という肯定はありますけれども、何か否定すべきものがどこかに存在しているのでしょうか?
否定するとすれば、「私は人間では無い」という否定だけですよ。
「私は、神であって人間ではない」と、そうですね。
「人間」は否定できますけれども、「神」は否定できる、できない? できないですね。
そうすると、「真理」というものは、否定論ですか、肯定論ですか? どっち?
肯定論ですね。
本来は、どうこういうものでもないのですよ。
今、あなたが、「私は、神ではない」と言ったところで、「あなたは、初めから神であるし、今も神であるし、未来永劫(みらいえいごう)に神なのですよ」と。
「今から神に成る人は、世の中に一人もいませんよ」ということなのですよ。
「今から、努力して神に成らねばならない」ということは、「神」に成れる、成れない?
今から、「神に成ろう」という人は、「神を否定」している人でしょ?
「今は、神では無いけれども、修行して神に成るんだ」と思っている人でしょ?
修行して、「神に成る」のですか、「今、神」なのですか? どっち?
どんな善人も悪人も、「初めから神」なのですよ。そうですね。違う、違わない?
善人も悪人も、「神」では無いのですか? 善人も悪人も、「神」なのですよ。
ただ、「神では無い」と思っているだけの、誤った表現をしているだけなのですよ。意味、分かりますか?
幻(まぼろし)に、偽物(にせもの)に、取り憑かれて、「真の自己という真我」が、「神であった」、「無限であった」、「普遍であった」、「全智全能であった」ということを、理解してないだけであると。
しかし、あなたが「神では無い」と、「神を知らないんだ」と、あなたが「神」が何であるか知らなくても、「あなたが、神である事実」は、変わる、変わらない? 変わらないですね。
あなたが「神である事実」は、変わるの?
「神」というものは、否定のできるもの、できないもの? できないものですね。できないものですよ。
「どんなに、神を否定しようがしまいが、あなたが神である事実は、全く否定できません!」ということなのです。