オリパラ組織委員の森会長の女性蔑視問題が話題になっている。  

 

スッタニパータという原始経典に興味深い話があります。

 

マーガンディヤというバラモンがいたんですが、彼がある時ゴータマ・ブッダを見かけて、その立派な姿に惚れ込みまして、

「この人をぜひ自分の娘の婿にしたい」

と思ったんですね。ゴータマ・ブッダという人は、そんなふうに、パッと見た人が惚れ込んでしまうくらいの超絶イケメンであったと言われています。

さて、それでマーガンディヤの娘も評判の美人でしたから、きっとこれを見せれば喜んで承知するだろうと考えて、マーガンディヤは娘を連れてブッダのところに行った。

「ブッダさん、せっかくそんなに超イケメンで有能なのに、ボロい衣を着てフラフラ托鉢なんかして暮らしていても意味がないですよ。そんなことはやめて、うちのこの超美人な娘と結婚しませんか? 私の家は金持ちですから、それで楽しく暮らしてくださいよ」

と言ったわけです。要するに、ニートしてたら美人の女の子が連れて来られて、「この娘と結婚して、金持ちな我が家の息子になってください」と頼まれた、ということ。

−−魅力的なお誘いですね。

 美人局かと思うくらい魅力的ですね(笑)。ところが、その魅力的なお誘いに対するゴータマ・ブッダの反応がこれまたすごかった。彼はそのマーガンディヤの美人の娘に対して、

「この糞尿に満ちた女が何だというのだ。私はそれに足でさえも触れたくない」

 

 

『増一阿含経』「馬王品第四十五」には女性蔑視の説がある。それによれば、釈尊は「女には九つの悪い属性がある」とし、①汚らわしく臭く、②悪口をたたき、③浮気で、④嫉妬深く、⑤欲深く、⑥遊び好きで、⑦怒りっぽく、⑧おしゃべりで、⑨軽口  だとも言われています。

 

大乗仏教の阿弥陀仏の極楽浄土にも変性男子の記述があり、法華経にもお釈迦様の弟子である舎利弗さんの「女性は梵天王、帝釈、魔王、. 転輪聖王、仏になれないという疑問に対して文殊菩薩は、「良家の子よ、〔確かに〕いるのです。 サーガラ竜王の娘です。…」といわれ、竜女の娘、畜生、女、八歳の子供 でも、成仏したものがいると答えています。  その後竜女を登場させ、変性男子を見せるが、すでに。文殊菩薩は竜女は成仏しているといわれ、あくまで、見せただけです。  法華経は女人成仏の教えです。

 

男も所詮糞袋です。 阿含経のような男性もいます。  仏陀は当初女性を教団には入れなかったが、あくまで、山奥で修行する場所に女性がいれば、問題が発生することを懸念し、当初は入れなかったが、女性の必死の頼みに尼僧を認めるが、男性よりも戒律をが多く、厳しかった。 厳しくしたのは、山奥での生活、むしろ、女性を守ろうとしたのではないのかと私は思っています。

 

 

仏陀は娼婦アームラパーリーの供養を受けた

 

彼女は富裕な娼婦であった。大変な美女で、一夜宴会に侍るだけで莫大な報酬が支払われたらしい。現代的に言えば、芸能コンパニオン兼高級娼婦、というところであろう。

アームラパーリーは、釈尊の説法を聞き、あまりの喜びにその翌日、釈尊と弟子たちを自宅に招いて食事の供養をさせていただきたいと申し出た。釈尊は黙諾をもって応えた。

同じ町に住む貴族たちが、次々に食事供養を申し出た。多くの人々は、娼婦の申し出など断って貴族の供養をお受けになった方がいいのにとか、何も娼婦の供養をお受けになることもないのにとか、口々に言った。ナザレのイエスが生きていたころの古代ユダヤと同じで、どんなに金持ちでも娼婦はやはり差別されていたのである。

しかし、釈尊は答えた。「私はアームラパーリーと約束した」と。

翌日、アームラパーリーの家に出向いた釈尊たちに、彼女は十分なもてなしを終え、自分の持っているマンゴー果樹園を寄附させていただきますと申し出た。この日からアームラパーリーは釈尊に帰依し、とうとう一人息子を釈尊のもとで出家させた。

 


人にはいろいろの種類がいる。心の曇りの少ないものもあれば、曇りの多いものもあり、賢いものもあれば、愚かなものもある。(中略) また人には男女の区別があるが、しかし人の本性に差異があるのではない。男も女も道を修めれば、然るべき心の道筋を経て悟りに至る(仏陀になる)であろう。
— パーリ『律大品』

 

仏陀は職業や性差別ではなく、心、心、心 の在り方を大切にされた。   男と女は、はたらきが違う、区別はあるが、人としては、平等

むしろ、女性が安心できる社会こそ、浄土の世界。 

 

命に合掌