私の父方は浄土宗、そして母型の実家は東の浄土真宗の檀家です。
法華経に出会うまでは、神も仏もそんなものはいないと思っていました。 父は10歳の時胃がんで病死し、母は頑張って子供たちを育ててくれました。 妻との縁で法華経に出会い、親孝行したいと思った時には、母も末期ガンでした。 母の病死の縁で法華経の信心をすることになります。 兄も健康診断を受けていたが、51歳で亡くなりました。
そのような時に若い浄土宗の住職が自殺しました。 母親が亡くなり苦しかったようです。 母の妹(叔母)も真宗の寺にお嫁に行っていますが、やはり住職が自殺してしまった。今従弟が寺を継いでいます。
他土の迹仏だろうと、信じるのは良いが、やはり、人として生じるのは奇跡といわれる世界に生じてきている。娑婆世界でやることがある。
他力信仰は、ちょっとしたことで悲観し、阿弥陀浄土に行きたがる教えになってしまう気がしている。 法然さんが師として仰いだ中国の善導さんも、法然さんによれば、末法の世が怖くて、自ら命を絶った。 そこまであの世の浄土を信じられるのは、すごいが、生まれてきた仕事があるでしょ。 仏陀の教えは苦しみを持ったまま死ぬと、あの世でも苦しむという事です。
黒谷上人(法然)語燈録 巻第九 類聚浄土五祖伝第十一に
「導(善導)、人に謂いて曰く、此の身諸苦に逼迫せられて、情偽反易し暫くも休息することなし。乃ち所居の寺前の柳樹に登りて、西に向いて願して云く、仏の威神驟以て我を摂せよ、観音・勢至も亦来つて我を助けよ、我が此の心の正念を失わせず、驚怖を起さず、弥陀の法の中に於て、以て退堕を生ぜざらんと願し畢つて、其の樹の上に身を投げて自ら絶す」と書いてあります
鎌倉時代と違って、最近は法華の寺だろうと、禅だろうと、念仏僧侶でも、お互いに交流が進んでいるようです。 信仰の自由ですから、しっかり勉強して自分に合った仏教を歩んで頂きたい。
ちなみに日蓮は禅天魔といわれたが、座禅が悪いわけではありません。 法華でも座禅に近い行法があります。
禅は「不立文学、経外別伝」、つまり経文によらず、言葉によらず、. 師から弟子へ ... 正法眼藏の、「仏教の巻」の中で道元さんはこの「教外別伝」 説を魔として批判しています。 道元さんは日蓮と同じ見解です。依法不依人「法によって、人によらざれ」 はお釈迦様の遺言です。
命に合掌
