人は肉体の服を着た霊体で魂があるのなら、人を殺しても殺人にはならない、なぜいけないのかという人もおられるでしょう。
私たちが住む肉体を持った、娑婆世界は魂の浄化のための修行の道場だと私は思っています。 魂は誰もが、汚く傷ついた魂より、光輝く魂になれるよう、不自由な肉体を着て修行している。
悪の行為によって、汚れた心を善行によって、鏡のように磨く。
自分勝手な都合で、他の人の魂の今でしかできない、修行成仏を断ち切るのですから、これは神仏からみれば、相当な罪になる。 まして、人として、この地球上に生じてくるだけでも、奇跡的なことといわれます。
人として生じてきても、仏の教えに出会う事は、難しいといわれいます。 さらに教えに出会っても、教えを受持し続けるのはほんの一握りかもしれません。
(海中から百年に一度しか浮かび上がってこない盲目の亀が、海面に首を出した時、流れただよっている浮木の一つしかない穴に首がちょうどはいるという、雑阿含経、涅槃経などにある話から)
仏または仏の教えにあうことがむずかしいことのたとえ話。
