2001年東北の旅6 盛岡先人記念館・啄木新婚の家 | 楢丁(YOUTEI) 旅の話

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趣味で書きためた旅日記が、膨大な量になりました。2020秋に脳出血、2023には食道癌を発症と、様々なことが起こりますが、克服してまた旅に出たいという気持ちは変わりません。
お付き合い頂けたらありがたいです。どうぞよろしく。

2001年東北の旅 その6

 

 盛岡では北上川の河川敷に、ほぼ理想のテン場を見つけ、自転車で散策へと出発。まず腹ごしらえは名物盛岡冷麺。ガイドブックに紹介されている店の一つに入ってみる。「パウワウ」というこの店、メニューの品数がびっくりするほど多い。人気の店らしく混んでいたが、味もなかなか。まずは幸先がよい。

 

 

 自転車で五分ほど走ると地図上では中央公園と確認できるところへ行き着く。道路も拡幅中で、かなり大規模な開発が行われている地域だと分かる。新しい県立美術館を目指して行ったが、残念。すでに建物はできあがっていたが開館は十月予定との表示。また訪れる機会もあることだろう。


 この美術館の裏手、いくらも離れていないところにもう一つ、展示館とおぼしき重厚な作りの建物がある。近づいてみれば、「盛岡市先人記念館」とある。美術館にふられてしまった以上、このあたりで他に寄るところはない。正直を言えばあまり気が進まなかったのだが、入ってみることにした。

 

 

 入館するとすぐに大型のビデオモニターがあり、この記念館の主役三人を紹介した映像が流されている。およそ一人について十分足らず、すぐに全部見終えてしまったが、これは良いアイデアだと思った。テレビで「知ってるつもり」という人物紹介の番組があるが、ここで見たビデオはいわば、このプログラムのダイジェスト版といった趣。映像とナレーションの威力は大きく、見ただけで三人についての、おおよそのイメージができあがってしまう。


 この三人とは、いずれも盛岡出身の郷土の偉人。米内光政、新渡戸稲造、金田一京助である。この三人にはそれぞれ展示室が一室ずつ用意され、他の百二十人あまりとは別格扱い。いずれもが良く知られた人物ではあるが、米内といえば軍人、しかも、太平洋戦争当時の閣僚とあっては僕なんか、すぐに拒絶反応が起こる。しかし、いつまでも狭い価値観で過去を断罪していて事が済むわけでもあるまい。時代の限界の中で、よりよく生きようとした個人の苦悩、そしてその生きざまといったものを素直に見る視点も必要だと反省した。


 盛岡といえば、夢庵・太田孝太郎という古印の収蔵家がいたはず、と思い出した。捜してみればありました。しかし残念ながら展示は書簡の一点のみ。


 中央公園、という名称はどこにでもあるが、盛岡の場合、少なくとも街の中心部からは相当離れたところにこの公園は位置している。街のまん中の公園といえば岩手公園、ここには盛岡城跡がある。この城跡に登って石垣の上にあがると、石川啄木の歌碑が建っていた。
「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」
というあれだ。盛岡一中当時の啄木の鬱屈した心情が何となく伝わってくる。結局啄木は落第したんだっけ。


 盛岡にはまた「啄木新婚の家」がある。妻節子との新婚当時に暮らした家だそうだ。ここには管理人のおじさんが居住していて、この人、とっても話好き。ここに来た人でこのおじさんと言葉を交わさなかった人など、まずいないと思われるほど。もちろん僕らもひとしきり話をした。

 

啄木新婚の家にて


 しかし、この時点で石川啄木について知っていたことといえば、「一握の砂」、「悲しき玩具」といった歌集の中の数首、生活苦のあげく若くしてなくなったという事実くらい。改めて新婚当時の啄木の話を聞けば、この男、やはりどこか尋常でないところがありそうだという気さえしてくる。評伝でも読めばはっきりするのだろうが、天才にありがちな生活破綻者、といった感じに近いのかもしれない。


 街を自転車で巡ってみて驚いたことがあった。前からうすうすは感じていたが、つれの章子の地理を把握する能力の素晴らしさにである。おまえは渡り鳥にはなれないな、とかつて友人から言われたほど、僕にこの能力が欠けているのは分かっている。しかし、ガイドブックの地図をちょっと見ただけで、実際にどこへでも誤りなく行くだけの力をこの人は備えており、これはどう努力したところで僕の及ぶところでないのは明らかだ。いや、本当に参りました。 


 盛岡には3本の川が流れている。東から中津川、北上川、雫石川だ。この3本が街のほぼ中央で一気に合流し、より太い流れの北上川となって南下する。合流点直下にかかるのが明治橋、そのひとつ下手が南大橋。僕らのテン場はこの二つの橋の間、北上川の右岸にある。昼のうちは家族連れがバーベキューにもやってくる、いたって平和な場所だが、夜の平穏が保証されているわけではない。特に警戒すべきは花火をしにやってくる若者たち。我が身を顧みれば明らかなのだが、若いうちは物事の限度というものが分からない。自分たちの行為が周囲に与える影響などということを考える視点が、そもそもないのだ、とはちょっと言い過ぎか。


 さて、街歩きから戻って川風に吹かれながらビールなど飲んでいると、やってきました若い人たちが。もちろん、手には花火の束が。けれど、割合きちんとした感じの女性が3人。そのうちの1人がこちらへ小走りに。すみません、火を貸していただけませんか、と問われてあなた、邪険にできるはずがないじゃありませんか。3人は川に向かって花火を楽しんだ後、静かに立ち去っていった。

 

 

2001年東北の旅 その7につづく