2011年3月11日。
あれから10年が経ちました。
あの日のことを
少し書いておこうと思います。
私はあの日は日勤で
母親教室を担当していました。
母親教室も話も
終盤という時に地震が起こりました。
「キャー!」
と多くの妊婦さんが叫びました。
私はとりあえず妊婦さんの身を守るためにも大きなものが落ちないようにできる限り手で物を押さえていた気がする。
というか
動揺していてアワアワしていた気がします。
この時の地震はグラグラと縦揺れと横揺れが本当にすごくて支えなしでは立ってられないくらいでした。
今まで経験したことのない
すごく大きな長い揺れでした。
病院の別館の4階にいたのですが、古い建物なので「ここ壊れるんじゃないか…」と不安になりながら妊婦さんたちと地震がおさまるのを待っていました。
妊婦さん達も我が子を守らなきゃと怖かったと思います。
古い建物ということもありすぐに建物から出た方がいいということで妊婦さんを連れて階段で一階まで降りました。
妊婦さん達と解散した後、ふと外の道路をみると地割れが起きていたり信号が全て止まっていたりして渋滞でした。
すごい地震だったんだと
改めて思いました。
それから病棟に戻ると入院して中の妊婦さんや産褥婦さん、赤ちゃんの安全確保をしました。
その中で分娩も2件くらいあってその上、帝王切開もあってすごくバタバタしていたことは覚えています。
ラジオから聞こえる地震情報で震度が7というのを聞いてみんなで「えっー!」と言っていたのは覚えています。
病院は海沿いの地域ではないので津波などの被害はありませんでした。
家族に連絡しなきゃと思いながらも忙しくて連絡はなかなか出来ずにいたと思います。
夜になりやっと少し仕事が落ち着き、次の日が日勤の私はとりあえず明日のために今日は帰って休むように言われました。
でも一人暮らしのマンションに帰るのはさすがに怖かった。そのため明日、一緒の日勤の先輩の家に行きその日は先輩の家に泊まらせてもらいました。
先輩の家に行く前に自分のマンションに寄り少し荷物を取りにいくとエレベーターはもちろん止まってる。
部屋が最上階だったので悲惨(笑)
部屋の中は棚や観葉植物、食器なども倒れていて壊れていてぐちゃぐちゃで。
「これは片付け大変だ。」と思いながら土足で部屋に入ったのは覚えています。
電気も水も止まっていたので、とりあえず先輩の家にあるご飯をご馳走になり、地震がまた来たらすぐに逃げれるように私服のまま布団ですぐに寝ました。
次の日の朝、携帯でテレビが見れたのでふと見ると津波の映像が映っていて
「…え?なにこれ…。」
と言いながら絶句した。
この時にすべての事態を把握した。
私は幸い実家は内陸だったので
家族も家も無事でした。
でも知り合いが亡くなったり、
友達の家が被災しました。
今でもあの時の恐怖や今後の不安は鮮明に覚えているし、震災の前のように海で遊びたいとは思えない。
自然災害は人間が争っても止めることができないし、どうしようもない。
けれどどうして?と思ってしまう。
避難生活をしている方がまだ沢山います。
そして行方不明の方が2525人います。
…早く家族の元に戻れますように。
…そしてご冥福をお祈りします。