正しさと独創性

【「アーティストがやるべき」と思うことをやるんじゃなくて、自分がやりたいことにフォーカスすべき】


アメリカ人の画家/彫刻家、ジェフリー・ギブソンの言葉。僕も毎日同じようなことを考えている。



『 正しさ 』

僕が目指してきたトロンボーン奏者像とは、世界の名門オーケストラに所属し、そこをベースにしてソロや室内楽の活動などをやる人のことだと、これまで長年思っていた。この道は、多くのトロンボーン奏者が目指す最もスタンダードなものだと思うし、僕たちは皆ある意味、このフォーマットというか、「枠」のなかで、成功を模索してきたような感じがあると思う。


オーケストラで吹くトロンボーン奏法の美学、オーケストラ表現の芸術というものがある。それは、職人的であり、大きな機械のなかでどういう風に自分の役割を果たすか、というような捉え方だと思う。


オーケストラは最大規模の室内楽であり、いろいろな個性や役割が絡み合った、社会の縮図のようだと思う。社会はどんな形態であっても、規模が大きくなり、働きが高度になればなるほど、個人の役割はより集約化され、効率化されるように思う。


だから、オケトロンボーン奏者の役割は、レベル向上と共に、より職人的な方向へ向かうと思う。


この職人的な役割を考えたときには、「正しさ」をクリアすることが最初の課題であり、不可欠だと思う。正しく演奏できないことには評価される訳がないし、「正しさ」=「水準」というのは最もわかりやすい指標だと思う。


でも、「正しさ」を追求するだけで僕らの仕事は十分なのか?



『 トロンボーンを教えること 』 

トロンボーンを教えるということは、90%ぐらいは「正しさ」を教えるということになるのだと思う。レッスンやワークショップなどで、僕のところに来る人は、ほとんど全員が「プロオケに入りたいです!」と言う。それなら「正しさ」をマスターする必要がある。


当たり前の正しさ、正統派ができない奏者にオーケストラ奏者は務まらないし、多くの卵たちはそこで躓くのだと思う。僕も長いあいだ超一流のオケマンを目指してきて、まだ叶っていないことを考えると、立場や技術は違えど同じような課題を抱えているのだと思う。


ただ、少し違和感を感じることがある。皆が一様に声を揃えて「オケマンになりたい」と言っていることだ。なりたいことに問題があるわけではない。


もっと多様化することができないものか?

もっと他に選択肢があっても良いのではないか?

もっと様々な道に目を向けるべきではないのか?

それは無理なのか?


月給を稼ぐことは現実的だし、名前が売れないことには仕事の単価を上げるのが難しいらしいので、生活を考えると真っ当な意見だと思う。本質的に音楽とは何の関係もないけど、目指しているのは「お金」ですとキッパリ言えるなら、それは潔くて良いと思う。それならそれで練られる戦略があると思う。


(でも、実際にはプロオケの仕事のことはおろか、オーケストラのことを知らない学生、興味を示さない学生が多いと思う。プロオケやプロオケ奏者の演奏に興味がない人も多い。なのに、目指していると言う。正気か?)


僕は、ほぼ全員が同じような方向性で同じようなことを目指すよりも、それぞれが一番得意なことを発揮して世の中に貢献できた方が、結果的には社会のためにはなるのではないか?と思う。多数が目指すことでトップや全体の水準がアップするとは思うけど、現実的に見てどちらが、個人にとって、また社会にとって、有益なのだろう?検証モデルがないからわからないけど。



『 トロンボーン奏者にとっての独創性 』

「正しさ」から離れた場所に位置しているのが、「独創性」とか「創造性」ではないかと思う。


「独創的」に物事を考えるなら、「なんでもあり」のはずだけど、トロンボーン奏者にとっての「独創性」は、現状ではとても限定された状態だと思う。最初に述べた「枠」が大きく関連していると思う。みんなクリスチャン・リンドバーグという人を知っているけど、誰も目指さない。


スタンダードを体得していない者が、ルールを無視して好き勝手なことをやっても、大抵の場合は精度が低く、独りよがりなものになるのだろう。特に一般には受け入れられ難いと思う。


「独創」と「独りよがり」の境界はどこか。


ベートーヴェンが、ゴッホが、生存中に理解されず、貧困に喘いだことを考えると、独りよがりと言われようが、評価されようがされまいが、自分がやろうとしてることを突き詰めることにも意味があるのだろう。先立つ物は才能か、それとも覚悟か。


例えば「オタク」という言葉。僕が小学生ぐらいの時は、強い軽蔑の意味がこもった言葉だったと思う。今でもマイナスのイメージがないことはないけど、意味合いがかなり違う。少なくとも、世間の人気者のアイドルが、自分を「オタク」なんて言えるような感じではなかった。生まれ変わった言葉のように感じる。今では文化となり、世界的にも認知され始めた。


形が変わること、認知が変わること、常識が変わること、その先にある多様性。これが僕らの世界にも、どうにか繋がっていかないものか。可能性はあっても、具体性がないのか。



『 自分の道 』

「正しさ」を追求することと、

「独創性」を追求すること。


相反しているようで、実はとても近いところにあると思う。そんな感じがするけど、まだフワフワしている。


「枠」があると、閉塞感を感じるし、

「枠」がないと、野放しにされたような気持ちになる。


では、枠を広げる方向で考えるのはどうか?


僕は全く新しい枠を創り出すことよりも、その方が合っている気がする。


トロンボーンという楽器の特性や、社会から与えられた役割に絶望感を抱いた時期があった。今はそこから進んで、ある程度の自由を手にしたと思う。楽器の上達もあるけど、何より発想の転換ができるようになったことが、大きいと自覚する。


では、僕が本当にやりたいことは何なのか?

では、僕ができる貢献とは何なのか?

この2つも相反しているようで、近いのだろう。


このトロンボーン吹きの、ここからの景色を1mmでも広げることができたら。僕はそう思って活動を続けていこうと思う。




今アメリカに来ています。圧倒的にデカすぎる大自然を前にすると、頭の中がクリアになる感じがします。最高の癒し!