出かける時に、ポストの中に1通の手紙を見つけた。
見ると、ここ数十年音信不通にしていた友人からだ。直ぐに開けようとしたけれど、元々几帳面な彼女からの手紙は、和紙の封筒にしっかりとのり付けされていて、指では容易に開かない。
仕事の時間はギリギリだから、バッグにそれを突っ込んで、全部を終え、夜になってやっとハサミで開封した。
衝撃がはしった。
内容は、中高時代の友達が亡くなったと言う。
私と同い年。
死因は不明。
半分、孤独死の様な。
死後5日後、発見の
彼女のことを仮にKちゃんと言おう。
連絡が取れないのを心配した猫友達が、彼女が自宅のベッドで冷たくなくなっているのを、死後5日程してから発見したと言う。
私とは車で行っても15分はかからない港区の住宅地と言うよりは、ネオンがキラキラ✨の華やかな土地に住んでいた。
生涯独身で、半分孤独死の様な状態。
キリスト教信者さんだから、葬儀は教会式だった様で、私は携帯を変えていた為、連絡が間に合わず、参列できなかった。
彼女は学生時代から、とても個性的でエキセントリックでチャーミングな子で、大きなプール付き、テニスコート付きの豪邸に住んでいた。
家が大きいから猫も多頭飼いしていて、私なんかが名前も知らない高価そうで不思議な猫がいつも、にゃぁにゃぁ鳴いていた。
Kちゃんのお父様はその業界では全国トップの大きな会社を経営していて、アメリカの手法を日本に取り入れ、色々な意味で物議を醸し出していた方。アメリカにも別宅があって、お兄様はアメリカ在住で、と言った様なゴージャスなお家。
私とは、テニス部で知り合い、英語好きで英語のできる彼女に影響されて、クイーンのファンクラブに一緒に入り、クイーンのコンサートにも行った。
今、私が英語を教えて生計がたてられるのも、思えば彼女の影響のおかげだ。
卒業する時、彼女は当然のようにアメリカの大学に進み留学生活を送ると聞いて、そして交流が無くなった。
その後、留学先でトラブルがあり、日本に帰国して、鬱になったと聞いた。
それから、京都の方の短大に入り直し、有名な社会学の教授のゼミでインタビューを受けて雑誌に載っている彼女の姿を紙面に見つけた。
その後しばらく、噂を聞かないと思っていたら、夕方のN○Kのニュース番組でアナウンサーとしてしゃべる姿をブラウン菅の中に見た。
なんとも、華やかな彼女。
その後、学校の創立70年祝典?があった。ニューヨークが本校であるミッションスクールだったので、アメリカから本部の外人神父様もいらっしゃって、それはそれは長く長く厳かな式典で、まるで秘密結社の宗教儀式の様。
私はおしりが痛くなった。
その時、隣に座っていたのがKちゃんだった。十数年ぶりに会った彼女は、ずいぶん様変わりしていて、最初誰だかわからなかった。
美人の顔立ちはそのままだったのだけど、前は凄く細くて運動神経も良くて綺麗な顔立ちと骨格をしていた子だったのが、かなりふくよかな、最後にあった頃の多分2倍弱位になっていた。
聞くと、アナウンサーはやめて、猫写真家になった、と言う。そして、かなりの稼ぎだと言う。
猫写真家 だとー
❗
その当時の私には、そんな職業があるなんてことが驚異的だったのと、Kちゃんなら、そう言った仕事でもできるのかと妙に納得したものだ。
Kちゃんは言った。
『ゆきそちゃん、昔、写真部だったでしょう。よく、ニコンとかライカとか首から下げていたわよねぇ。だから、(その頃に)いいな。カッコいいな。って思って、影響されて、私も始めたの』と、彼女は言った。
それから、また十数年が過ぎて、今回の彼女の訃報を知った。
最後の彼女の職業は霊感占星術師。
占い師に転職していた。繁華街の占い館で売れっ子だったそうだ。彼女は自分の波乱万丈の人生の先も占ったのだろうか?
ボヘミアンラプソディーが流行っているこの数ヶ月、
このところ、何故か、Kちゃんのことが思い起こされていた。
昔の友達の存在を考えると、いろいろなことで影響され、育ち、今の自分を成している。お互い。それは若ければ若いほどです幼ければ幼い程、影響力は増してゆく。
そして、音信不通だった昔のお友達がラインで、繋がっていく。
まるで、寂しがりやだったKちゃんが、皆を引き寄せてくれるようだ。
心より、ご冥福をお祈り申し上げます。
最後に、、、
私が入っていたのは、写真部ではない!
新聞部だー!新聞部の写真担当だったのよ。
最後まで、お読み下さいましてありがとうございます。