多分面白いであろうと期待して、納骨打ち合わせ&墓参りのあとに錦糸町楽天地の映画館で「まほろ駅前狂騒曲」を観た。原作とは細かな点が違うし、無理やりに時間内に詰め込んだような感じでダルイ。約40分ほどにまとめられたテレビの同ドラマシリーズには遠くもないけどw及ばないと思った。
やや健康的な「傷だらけの天使」のような物語が、僕の昭和ノスタルジー嗜好をくすぐって笑わせてくれる同テレビドラマシリーズの多田、行天には、映画のような無理やりな孤独感は皆無といっていい。だからこそ面白いのだ。面白かったのだ。
行天に関しては幼少期に母子でカルト教団の入信者であったなど、あとづけの無理やりな孤独感が不自然に映る。主人公たちの過去などどうでもいいではないか? それを謎としているほうが物語りは自然に進み面白いと思われる。それに理由あって「殴り殺しちゃうかもしれない」などと言うほどの子ども嫌いなのに、あっという間に子どもにてなずけられてしまうのはいただけない。それもこれも少女がやってくるまでの前置きが長いからだ。
せっかくの永瀬正敏の登場も半端でいただけない。過去を引きずっているのならば過去を描く必要があるのに何も描かれていないのが、全体的な半端感の要因だろうと思う。
それでも要所要所の多田(瑛太)と行天(松田龍平)の馬鹿なセリフのやりとりに救われる。笑わせてくれる。
オフィシャルプログラム(カバー付きで850円もする)を読むと当初はコメディ強調の物語であったらしい。僕は「その方が良かった」と思う。原作者の三浦しをんさんもセリフに関しては指摘があり、それを取り入れているそうで、もしかしたら、それでこの映画が救われているのかもしれない。
こういう映画でも名セリフがいつかある。名セリフというか僕の好きなセリフである。それはいずれもが行天の言葉である。少年が蹴ったサッカーボールが頭に当たって脳震盪を起こして道路に倒れる行天が、無責任なサッカー少年たちの責任者に「人って簡単に死んじゃうんだよ」と言ったり(サッカー少年に責任者は逃げてしまう)、病院で余命いくばくもない老婆が「あの世ってあるんだろうかね?」と言うのに対し行天が「あの世なんてないよ、でも、俺はあんたのことをなるべく覚えているようにするよ、あんたが死んじゃっても。俺が死ぬまで。それじゃだめ?」(原作では冒頭、映画ではラストシーンに使われる)と言ったりするなど、なんだかわかるんだかわからないんだか奇妙な雰囲気のことを言うのである。
原作にはそういうセリフが充満している。原作は映画より面白いのである。
映画とドラマの製作人は異なる。映画は大森南朋(ドラマにも映画にも常連出演)の兄”大森立嗣”が監督している。ちなみに父親の麿赤兒もドラマと映画にレギュラー出演している。どうやら、これが映画をつまらなくさせている要因であるように思う。