一年前の昨日 12月14日。 
    
個性心理学研究所の弦本將裕先生、つるさん、のお計らいで、
みなとロータリークラブのクリスマス例会に出演させていただいた。

2021年は、コロナの関係もあり、なかなか思うように活動できない分、
CD制作、音源制作、そしてアナログLPレコードを制作し、充実した制作活動の年になった。
LPレコードはこの2日後、12月16日が発売日だった。
  

 
みなとロータリークラブは、
ご想像に難くないだろうと思うのだけど、
名刺をいただく毎に「うひゃー、、」ってなってしまうような
日本経済のトップの方々が集まっている団体です。
    

そういう人たちは、たいていとても謙虚でいらして、
初めて名前を聞く僕のようなシンガーの歌を、
まるでポールマッカートニーでも出てきたかのように、
全員がガチでステージを向いて、、めちゃめちゃに真剣に聴いてくださるんです。
     
たとえ、だいぶお酒が入っていても、です。

    

  

  

トップにいる人というのは、常に

人に対するリスペクト、芸に対するリスペクト、そして思いやり、
は決して崩さない。

 
ありがたい事に、僕は、こういう経済の本当の上層にいる方々の前で演奏する機会が結構多くて、
そのような場の人達は、一様にみなさん、非常に真剣に聴いてくださるものです。
(無礼講の仲間内の忘年会とかは、バンバン騒いで楽しく、って感じも全然あり!)
        

     
12月14日、
みなとロータリークラブの高い志を掲げるみなさんの前で演奏させていただいて、たくさんお褒めの言葉をいただき、呼んでくれたつるさんの顔もちゃんと立てられたし、、つるさんと、まるちゃんと、3人でかるい打ち上げもして美味しいおでんを食べて、

最高に楽しい、本当にいい1日だった、、、
明日はレコード発売の準備頑張れるぞ、
  
  
そう思って、ほぼ最終の電車にのり、そろそろ家が近づいたなぁ、、、と思った、もう12月15日に日付が変わろうという時刻。
二子玉川の駅を越えた頃、です。
       

 

          
瞬きをしたあと、急に、右目の視界がもやっと曇りました。
あれ??
と思って、目を擦ってみても、もやっとした曇りは消えませんでした。

そして、なにか、目の中で変な違和感を感じました。
目に何かゴミが入ったかな、、と思ってもう少し擦っても、、、戻らない。

右目の視界は、イメージ、、でいうと、こんな感じになっていました。


あくまでイメージです、もっとぼんやりしたして光が乱反射した感じ。
そういう画像を作る技術もってないもんで、だいぶ違うけど・・・

    

僕はその時に、ある事を悟って、
   
「あ、、、やった・・・・とうとう来た・・・」
        
って思いました。

      

      
24歳の時に、バイク事故で右のほほの骨が大きく陥没して、眼が中にちょっとめり込んで眼底骨折もしてたんですね。
だから、右の頬骨のあたり、500円玉3枚分くらいの広さ、僕の顔はチタンプレートでできています。
よく見ると不自然に凹んでいる部分があるし、触るとボルトが入っているのもわかります。
  
ほいで、、2ヶ月ちょっと入院して、退院後2ヶ月くらいは右目は真っ赤に充血して、半年くらいの間、右目が外側にずれていました。

       
それから、8年後、僕はもうオーストラリアに移住してて、家も買い、のほほんと生活していたある日、
朝起きると、右目にガーゼを貼ったような視界になっていて、、驚いて、家の近所のショッピングセンターにある眼鏡屋さんに行きました。(オーストラリアはこう言う時まず眼鏡屋さんに行きます)

    
で、、これは白内障だから、手術しないと治らない、と白内障手術の専門病院を紹介されて、
まず右目を手術しました。交通事故の後遺症による外傷性の白内障です。
そして、左目にもやはり交通事故時に衝撃はあったようで、若干の白内障が見られ、視力を合わせるためにも、右目の視力が安定してきた50日後くらいに、左目の手術もしました。
もう24年前の話ですが、今現在同様、当時から白内障手術は極めて簡単で、ほんの15分くらいで終わります。

水晶体を吸い出して人工のレンズを入れる、なんだかすごい複雑な感じするけど、簡単らしいです。
       
交通事故の後遺症ですから、人工レンズを入れる目の中にある袋のようなものが、かなり痛んでいる状態で、
今回は一応は治るけれど、そんなに長くは保たない、ということでした。
 

その後、何事もなく、23年間経って、、、、
    
昨年の12月14日のもう夜中の12時になろうというころ、目の中で、レンズがずり落ちたに違いない、と思いました。

  
いつかは来る、とわかっていたことだったので、実は、さほど動揺しませんでした。
     
     
昨年12月14日は火曜日。
翌15日水曜日は眼科がおやすみ、それ以前に12月16日に、アナログレコードの発売の日でしたから、その準備もある。
もう、どうにもならず、
とにかく16日の発売日のラッシュをこなしてから、17日に眼科に行き、検査すると、
     
   
「結構面倒なことになっていますね」、、、と眼科医師、かやま先生。
    
上から非常に危うい状態でぶら下がっているだけ、人工レンズは傾いて中を向いていて、衝撃を与えれば眼球の中に入り込んでしまう、という状況になっていました。
  
そして、これは病理学的にそうなのか、メンタルにやられているのかイマイチはっきりしないのだけど、
目の中の違和感がひどく、体感としては、ものすごい気持ち悪さでした。
まつ毛が中に入った、とかの気持ち悪さとまた違う。。。
  

  
レコード販売の作業のほとんど全てを奥さんに任せ、できるだけ目を使わずにできる作業だけ手伝ったり、食事の用意をしたりしながら、24日になって、レコードは完売しました。 

  

顔に振動を与えないために、歌はしっかりは歌えない。

12月、28日、29日、とライブが決まっていたので、これはどうしてもやりたい。
お客様には、右目を時々ヒクヒクさせて瞬きをなんどもしたり反射的に右目をつむりながら歌って、むしろ心配をかけてしまってもうしわけなかった、というライブになりましたが、みなさん、常連さんばかりなので、それでも楽しかったと許してくださいました。
 。   
    
諸事情あり、再生手術ができるのは、2月の終わり、必要であれば、そのあとにもう一度手術。
        
結局年明けて2回手術になり、白内障手術のイメージがあって、いろいろ説明されても「まぁ簡単な手術でしょ」ってタカをくくっていたら、、1時間半もかかる手術でした。
1回目の手術から、目の炎症が引くと、目の中の気持ち悪さも無くなっていました。


こういうゴーグルを常にかけていて、
絶対に目を触らない事、触るとかなりの確率でアウト、
寝ている間にうっかりゴーグルを外していた事があって、それいらい、ベッドに手を縛った紐を背中の下に敷いた状態で寝ていました。
白内障手術程度の楽勝さをイメージしてたからちょっと覚悟が足りなかったな。

 


いろいろ心理的ストレスはあるものの、とにかく目の違和感が劇的に軽減して、毎日すこずつ視力も安定していって、幸せでした。
駅で走っている人、などが怖いと思ったのも初めて。
体が元気だと、不自由を少しでも抱えている人の気持ちってわからないものです。
      

   

目に大きな絆創膏をはってこんなゴーグルして、
つまづくのが怖いから、いろんなところに捕まりながらそっと歩いていても、

優先席を譲ってもらえませんでした。
日本って、、、それで平気人ばかりなのだな、とも思いました。
オーストラリアだったら絶対に有り得ない。
たとえ全身刺青の強面でも、必ず助けに来て、大丈夫?って、声をかけてくれる。
             

 

日本、大丈夫か、いや、ダメだな、

日本、民度すげー低い、って腹立たしく思いました。
自分の事になった時、そしてそれが自分の国か、って思った時、
やっぱり腹立たしいです。
これ、絶対に変えていきたい。
  
こういう事、弱者に優しくできる事、が、
  
国力である。
   
と今、わかっていない人にわからせたい。
 
俺から変えてやる、って思いました。
                
  
そこから、2回目の手術の前に少しだけ仕事をして一応歌えて。
その後5月までほとんど安静にして、やっと復帰に向けて動き出したら、
ストレスからなのか、長く声を出せなかったからか、最初は、驚くほど声がでない。
というか、完全に歌にならないものになってた。高い声は全く出ない。音程もおかしい。
   
3日くらい、絶望しました。

  
どうしたらいい、って、散々考えて、まず、歌っていた頃と今と何が違うのか冷静に考え直して、
体力が圧倒的に衰えた事、が、まず最大に以前と違う、あらゆる自信のなさに繋がってる。
   
療養中も散歩はしてた、だから、足を鍛える事から、そして体幹を鍛え、
歌う以前に喉の筋肉を柔らかくする、強くする、というリハビリを徹底的に、壊さないように気をつけながら地道に始めると、案外思ったより早く元に戻ってた。
     

6月終わりにライブ大復活して喜んでたら、7月11日にコロナ発症。
そこから、長く後遺症が続いています。


今も、7月11日以来、一度も、
気道と肺に何も感じない、何も意識しない、そういう普通の呼吸を、ひと呼吸も、していません。
今はそれも当たり前になってきました。
そう思えるとこまで回復したし、一時は、一瞬だけ、もう歌手として終わったと思ったりしたけど、まず諦めない、死ぬまで諦めない、そう決めたら覚悟も決まるもんです。
      
      
そうやって、2020年、2021年と続いたコロナ問題にプラスして自分自身の身体に非常事態を抱えて1年が過ぎました。
     
    
ただ、

とてもいい一年だった。
無理して言ってるんじゃないです。本当に最高に面白い一年だった。
今年、半分、寝てた。
でも、その間に、
人生にこんなすごい事おこるんだ、って事がいくつも起こった。 
     

   
たくさんの事を振り返る時間があった。
たくさんの大事なものが見えて、
人生で一番大切な一年だった、と思うくらいだったのです。

運気が悪かった、と思えないのです。
陰陽、を地でいったような1年だった。

     

    
つらかったです。体は辛かった。
体がずっと辛い、って、ものすごいストレスだったし、髪の毛もいっぱい抜けました。
コロナの後遺症で抜けたのか、ストレスで抜けたのか、わかりません。
でも、なんか抜け毛も治ってきたような気がします。
喘息も、歌を歌う自信を持てるところまで回復し、体も鍛えています。    

      

   
喘息も含め、後遺症は今も続いています。
治せる、と信じています。
少なくとも、意識障害のようなものが、ほぼ全くなくなった。
だから、他も全て治す。医学の力、目に見えない力、いろいろ力を借りて行けば、自分自身で治せるものだと信じています。  
     
来年にはきっと、完治しないまでも、ライブはできるようになる。
無理をするつもりもないし、必死になってもいません。
その時にできる事を一生懸命やろうと思ってるし、あわよくば、元どおりのライブもできるようになりたい、って思ってます。
                
  
生活は厳しくなるでしょう。一時的には。
でもね、僕も今までたくさんの困難をくぐり抜けてしました。
何かを変えて行かないといけなくなるでしょう。
   
でも、そんな状況が、面白くなってしまってるんです。
今までと同じにではやっていけない、そもそもコロナ問題が起こった時点でもうそうなってた。

   
面白くなってきちゃってるんです。
負ける気がしない。
   
僕は、
今までの人生で、負けた、って思った事ない。
失敗もいっぱいあるけど、なんにも失敗しないで成功できるような天才じゃない。
そもそも成功も何も、そうやって何かを目指してやってる間こそが面白い。
       
わりと強いやつなんです。
俺が負けるわけない、って思ってる。

いろんなドラマがあって人生。
だからこそ、面白いのが人生だ。