こんばんは。



去年blogをスタートさせてから、
旦那のギャンブル依存症発覚前〜発覚後を
出来るだけ細かく書き記してきました。

辛かった日を思い出して気分が落ち込んだりもしました。




過ぎ去った過去の話ではなく
現在進行中の話でもありますが、




私はギャンブル依存症者の被害者のままでいたくない。と心から思っています。







発覚時は、ギャンブル依存症旦那のせいで人生狂った。自分と子供が可哀想でたまらない。

そんな気持ちが大半を占めていましたが



時間が過ぎるごとに



このまま、ギャンブラーが主人公で、自分はギャンブル依存症者の被害者として、、
肩書きが【被害者】のまま人生を歩んでいくのは嫌だ。


と、自分の人生を旦那に委ねるのはやめよう。という前向きな気持ちが増えてきました。




もちろん毎月の生活費など経済的には旦那に依存している自覚はあります。




だけど、過去の旦那の過ちを思い出してイライラしたり不安になったり
また同じ過ちを繰り返すのでは?
と、どうなるか分からない未来を妄想して
先取り不安をして落ち込んだり。


そういった事に振り回されるのはやめよう。



自分の為に一旦、旦那のことは許そう。




そう思っています。










ギャンブル依存症が発覚して、図書館でたくさんの本を借りて読みました。


その中の一冊にこのような内容がありました。
(要約しています)





共依存とは
相手に巻き込まれながら相手をコントロールしようとする病んだ関係性のこと。



相手に愛情が無いのに
相手をコントロールし
がんじがらめにし支配する事は
いくら相手が依存症だとしても
人権を無視している。



健康な距離をとって、問題に巻き込まれない、振り回されない。
干渉しない、コントロールしない。
自分自身に関心を向け、被害者意識、自己憐憫から抜け出す努力をする。






そして、


私はこの一文に救われました。






あれほどの不安や不信や恐怖のなかでも別れることなく生活を共にしている家族です。
そのつながりは理屈を超えた強さだと思われます。





家族は回復の協力者になるだけでなく、苦難を生き抜いたサバイバーとして家族自身の人生を切り開く。
家族として生き抜くなかで傷つきながらも得てきた力や失わなかった感性。
それらを依存症家庭の人間関係から得たユニークなありようとして磨き、豊かにする価値はあると思う。







まだ自分が正しかったか最終的な答えは出ていません。
答えが分かるの数年後なのか数十年後なのか。

でも少なくとも今、家族として出来ることをしている自分は間違っていない。と思っています。


そしてこの辛かった経験を、
同じようにギャンブル依存症や借金依存症などで困っている家族の役に立てて欲しい、伝えたいとblogを始めるきっかけにもなりました。






ギャンブル依存症者と別れなくても幸せになれるパターンもあるんだ。と、

そうなりたい。そうなるんだ。と

今は何もない平凡な日々を積み重ねていっています。











本から何を読み取るかは、個人差がありますが

家族の依存症で悩んでいる方には一度読んで見て欲しい本です。










正直な話、
今でも
どこかからお金を借りてこっそりスロットしてたらどうしよう。と不安になる日はゼロではありません。



でもそれは私にはコントロール出来る範囲を超えてしまっているのです。


私にはどうしようもないのです。



なので、私は私の毎日を。

妄想に怯える日々は終わりにします。









最後に


コメントでも頂いたように

災い転じて福となす

となるように、

日々明るく生活することが

がんじがらめに旦那をコントロールすることよりも

私には必要に感じています。







拙い文章でしたが

本日もお読みいただきありがとうございました。