【東日本大震災から7年が過ぎて】第1回 震災直後〜現在。 | 横浜市会議員(南区) 遊佐大輔(ゆさだいすけ) 公式ブログ

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こんにちは。ゆさ大輔です。


東日本大震災から7年が過ぎましたが、今回も多くの皆さんの温かいご理解をいただき福島県と宮城県に足を運ばせていただきました。


現在の東北の様子をご覧いただきたく動画もたっぷり撮影してきました。


同行者は、ずっとこの活動に付き合ってくれる神奈川県藤沢市・吉田あつき市議。いつもありがとう!


全4回のシリーズでご報告したいと思いますのでよろしくお願い致します。


さて、まずは今に至るまでの経緯から。長文お許しください。




【東日本大震災から7年が過ぎて】
第1回  震災直後〜現在


2011年3月11日14時46分、事務所で打ち合わせをしていました。
翌月10日が投開票日、初挑戦となる市議選のラストスパートに入っていた時期でした。

グラっとした瞬間、廊下に出て歯を食いしばり手を壁に抑えながら体を支えました。
これはただの地震ではないと、そこにいた全員誰もがわかりました。
お手伝いくださっていた方はすぐにご自宅へお帰りいただき、私は数名のスタッフと一緒に事務所に残りました。
テレビがなかったのでパソコンの画面を開くとそこには・・・。

見たこともない警報と警告音と同時にアナウンサーが絶叫、背後から津波が迫ってきています。
「逃げてー!」
全員がモニターに叫びました。
「とんでもないことになった」
街が破壊されていく凄惨な映像に祖父の故郷・宮城県のことや友人の安否が気になりました。
もちろん電話はつながりません。
一同絶句、緊張感が一気に高まります。

現職議員との壁も痛感させられました。
学校に行っても立ち入りを拒まれます。
事務所を開放すると偽善と叩かれます。
それでも歩いて帰る方がトイレや休憩で立ち寄ってくれました。
その「ありがとう」に支えられ助けられつつ、悔しさと不安で眠れないまま一日が終わり朝を迎えました。

数日後、選挙は予定通りの日程で実施されることが決まりました。
どこに行ってもどんな活動をしても批判的な声が多かったのはどの候補者も同じではないかと思います。

今すぐにでも東北に行きたい気持ちを抑えてスタートした選挙戦。
マイクを使った選挙活動を自粛する候補者がほとんどでしたが、私は「地元の4年間の代弁者を決める戦い。まずは決められたことをしっかり行い南区・横浜のことをきちんとやった上で東北の後方支援を継続させていただく」と宣言して初日から積極的に活動していきました。

10,554票で当選させていただきました。 
何度も心が折れかかった中での初当選、本当に感謝の気持ち以外ありません。
当選証書授与式の際、再びエリアメールで一斉に携帯電話が鳴り場が凍りつきました。
横浜市役所への初登庁は4月末でしたので、それまでの間に東北を訪れる機会をいただきました。
テレビなどで津波後の風景を見たり被災された方のインタビューを聞いたりはしていましたが、もっとも衝撃的で今も忘れられないのがにおいです。
自分に何ができるんだろうと悩みました。

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迫りくる津波から猛スピードで逃げる軽トラック。
その運転をされていた方のご自宅です。
ご自身はご無事でしたがご家族が犠牲に遭われました。

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その後ご自宅を取り壊し仮設住宅に入居されました。
気持ちの整理がつかぬまま自宅を片付け。
心境を計り知れず言葉を失いました。

ちょうどその頃、義援金の使い道に多くの疑問が投げかけられていました。
後援会のメンバーと相談しました。
被災自治体すべてに定期的に足を運ぶのは無理でもふるさと宮城であれば行かれるのではないか、継続して喜んでいただけるのはやっぱりお金を直接届けることなのではないかという議論になりました。
それが現在に至る募金活動のきっかけです。
『ゆさ祭り』もその延長線上にあります。

また、現地には公務では行きませんでした。
公務だと職員さんが対応することになりご負担になると思ったからです。
だからこそ逆に自由な時間が多く取れてたくさんの出会いに恵まれました。
今も変わらず仲良くさせていただいている方ほとんどがたまたま出会い、紹介で広がっていったつながりです。
石巻市『恵プロジェクト』Kさんとはよく「ナンパで出会ったから」と笑い話になります(笑)。

数年前に「今は公務でも物見遊山でも何でもいいから多くの人に来てもらいたい」と言われたことがありました。
どんなに時間が経っても癒えることのない心の傷を背負いながら一方で風化にも悩んでいることを肌で感じ、以降は公務や応援してくれるメンバーと一緒に東北を訪れる機会を増やしていきました。

時間が経つからこその難しさがあります。
『居場所づくりと働く場づくり』という難題に挑戦し続けているのが宮城県牡鹿郡女川町で活動する『うみねこ』の八木純子さんです。
震災直後にカフェを始めるところからスタート。
それからキッチンカーを走らせてたい焼きを販売したり、食べ物から手作りグッズに至るまでさまざまなアイデア商品を手掛けています。
たびたび横浜を訪問してくれて、今年の年明けには宮城県に11ある離島の一つ『出島(いずしま)』の方を連れて来てくださり夜ご飯をご一緒させていただきました。

「雇用の場を確保するため補助金に頼り続けないで自前のキッチンカーを作りたい」
赤い羽根募金との共同プロジェクトで、150万円自分たちで集めることができれば100万円援助してくれるという企画があり主旨に賛同して寄付を呼び掛けました。
結果は後述させていただきます。

7年が早いのか遅いのかー。
いろいろな想いを抱えて今回もレンタカーを借りて行ってきました。

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福島県内の高速道路。
至る所に放射線量を示す案内板が立っています。

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福島県内は『浜通り』『中通り』『会津』で地域分け。
文化や伝統もまったく異なるそうです。
今回会えなかった飯舘村の皆さんとも再会したいなぁ。

福島から車を走らせて仙台方面へ。
仙台からさらに北へと進み石巻・女川に到着、女川で一泊しました。
シリーズ第2回は女川の朝から始まります。

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