今日は、

「広島原爆を知る」の続きで

その3です。

 

人の頭の上に、故意に原爆を落とされた国は、私たちが住む日本だけです。

 

原爆については、修学旅行で行ったことがあるくらいで、それ以上とくに知ろうとしてきませんでした。でも、自分が知ろうと思えば知ることができる、という、当たり前のことを想うと、日本人としてちゃんと知りたいと思い、撮影旅をすることにしました。

 

撮影は2019年ですが、

今の解釈で現像しています。

 

 

今回の写真は7枚です。

 

よろしければ写真での旅を

ご一緒いただけたら嬉しいです。

 

 

 

 

 

『広島県産業奨励館の庭』

広島県産業奨励館には、お庭がありました。北側には和風庭園があり、南側には洋風庭園があるという、なんともお洒落なものでした。それらのお庭は1945年8月6日午前8:15に原爆に破壊されました。しかし、南側の洋風庭園にあった噴水は「噴水跡」として今も残っています。

 

この写真を撮影したときは「これは何だろう?」とわからないままでした。今回調べて「噴水跡」とわかりました。(今まで調べなかったのが不思議です...)そして、この撮影位置の右後ろ、原爆ドームを囲う柵の外側に噴水があるのですけど、そこに噴水が設置された意味がわかった気がしました。その噴水はなかなか盛大に水が噴きあがるのですが、それが原爆ドーム、さらにはこの噴水跡の慰霊のために噴きあがっているように感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『元安橋から望む原爆ドーム』

原爆ドームは、元安川沿いの相生橋(あいおいばし)と元安橋の間にあります。この写真に見えるのは、相生橋です。当時のアメリカ軍が原爆の攻撃目標にしたのがこの橋です。元安橋の上から撮影しました。原爆ドームの川沿い側にはベンチが設置され、休憩することができます。

 

この川は、被爆当時に負傷した人たちが水を求めて訪れた川です。多くの人が力尽き、今でも犠牲者の遺品などが川底にあると言われています。広島県産業奨励館のバルコニーに使われた石柱の一部がこの川で見つかりました。引き上げられたものは、すぐ近くの本川小学校平和資料館に保管・展示されています。

今では当時のすさまじい光景を想像できないくらいに平和です。ここにいる人たちものんびりすごしています。この日は対岸で船を係留して何かやってました。平和になった、ということを感じます。

 

元安橋は、毛利元就の子である元康が自力で架けた橋であることから「もとやすばし」になった説もあります。橋が「はし」か「ばし」かは、あまりこだわりはないようです。ただ、橋の端の柱には「もとやすはし」と書かれています。

毎年8月6日には、灯籠流しが行われているそうです。

 

 

 

 

 

 

 

『動員学徒慰霊塔』

原爆ドームのすぐ南側には、動員学徒慰霊塔があります。この写真の右上に見える白い塔が、動員学徒慰霊塔です。

 

平和記念資料館によれば、第二次世界大戦中の労働力不足を補うために勤労奉仕に動員され戦禍に倒れた学徒と、原爆犠牲者を含めた約1万人の学徒の霊を慰めるために、1967(昭和42)年7月15日に、広島県動員学徒犠牲者の会により建立されました。

 

今では想像することすらないことでしょうが、当時の政府は学徒勤労令を発して中学生以上の生徒は軍需工場等で勤労奉仕することに強制することで労働力不足を補おうとしました。この法律の発令は1944年(昭和19)年8月でした。

 

同年11月には、建物疎開の作業にも学徒が動員されました。建物疎開とは、建物を取り壊して防火帯を作ることで、空襲による延焼を防ごうとする作業です。原爆が落とされたときも、国民学校高等科以上(現在の中学生以上に相当)の生徒8,200人以上が建物疎開作業をしていたそうで、そのうち約6,300人が犠牲になりました。ただただ胸が痛むばかりです。想像が追い付きません。

平和記念資料館によれば、動員学徒慰霊塔は平和の女神像と8羽の鳩が配された高さ12mの塔です。この塔は有田焼陶板仕上げで、末広がりの5層になっており、中心柱には慰霊の燈明がついています。左右にあるレリーフは「食糧増産作業」「女子生徒の縫製作業」「工場内での鉄工作業」「広島の灯ろう流し」を表しています。これらの裏には全国戦没学徒出身校351校の校名と動員学徒悼歌『ほのお果てては』が記されています。

 

碑文には次のように書かれています。

「第二次世界大戦中増産協力等いわゆる勤労奉仕に動員された学徒は、全国にわたり三百数十万人。あたら青春の光輝と、学究の本文を犠牲にしつつ挺身した者のうち、戦禍にたおれたものは一万有余人。その六千余人は原爆死を遂げた。この塔は明眸青雲を望み、将来空高く羽ばたこうとした夢も空しく、祖国に殉じたそれら学徒の霊を慰めようと有志同胞の手によってうち建てた。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その4に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日もお読みいただき、

ありがとうございます。

 

プロコーチ11年目、常楽でした。

 

 

 

 

 

 

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