今日は、

「悪いあの人」の話をする人は

応じ方次第で良好な関係にもなるし

悪い関係にもなる、

ということについて書きました。

 

相手の非難の対象を擁護すると

悪い関係となり、

擁護せずそのまま聞けたら

良好な関係となります。

 

良好な関係となった方が

たのしく過ごせます。

 

目次

・良好な関係を望むなら、避けるべきこと

・相手の信頼に応えること

・具体例と対処法

 

■良好な関係を望むなら、避けるべきこと

相手の非難の対象を擁護すると、

その相手は癒されません。

 

それは例えば、

「お父さんが悪いと思う」と話したら、

聞き手から「お父さんは悪くないよ」と

言い返されるようなことです

 

こんなことがあると、

話し手は癒されないどころか、

裏切られたと思って

「傷ついた」と感じてしまいます。

 

そうなったら、その相手とは、

良好な対人関係を持つことが

困難になってしまいます。

 

相手は

「この人に本音を話すと傷つく」

と思うこととなり、

その後は接するたびに

再び傷つかないよう警戒することに

なるからです。

 

これを意図的にやったなら、

期待する通りに嫌われるでしょうけど、

意図的でなくやってしまうと、

突然相手に嫌われてしまって

何がどうなったのかを理解できない状況

となってしまうでしょう。

 

そうならないためには、

相手の非難の対象を

擁護することは避けた方が

効果的です。

 

■相手の信頼に応えること

非難とは、責めることであり、

「悪いあの人」の話することです。

 

擁護する、とは、

その人の肩を持つ、とか、

その人をかばう、とか、

その人の味方になる、とかで

表現されることです。

 

相手がせっかく癒されようとして

勇気を使って本音を話し、

その対象を非難しているのに、

聞き手がその対象を擁護してしまっては

その目的の実現を妨げることに

なってしまいます。

 

勇気を使って話すことは、

聞き手を信頼していないと

できないことです。

 

信頼できると思った聞き手に

いきなり「それはちがう」

みたいに言われたら、

けっこうな負荷が心にかかります。

 

立ち上がれると思って

その場で立ち上がってみたら、

意外と天井が低くて

頭をぶつけたような感覚を感じて

びっくりする感じに似てます。

 

それは「裏切られた」と

思うことすらあります。

 

突然てのひらを返されたような

状況となりかねません。

 

なので、

相手が誰かを非難し始めたら、

それはその相手から

相応の信頼を得ていることなので、

まずはその信頼に応えることです。

 

相手の話を”そのまま”に聞くことで、

その信頼に応えられます。

 

信頼に応えることで、

相手は「話したいことが話せた感」を

感じやすくなり、

そう感じられたときには

その時点で癒しが起きています。

 

そうして癒しが起きると、

話し手は聞き手との関係を

良好な関係だと感じてくれます。

 

■具体例と対処法

「悪いあの人」の話を聞くには、

”相手が話している通りに聞くこと”です。

 

聞き手の個人的利益を

そこで実現させようとせずに、

相手の”非難する”という目的が

実現できるように支援することです。

 

例えば、

私が新入社員の頃に

仕事のことで上司に相談したときのことです。

 

上司は、

思っていること何でも言ってみろ、

そうすればすっきりするから、

みたいに勧めてきたので、

私はこの上司を信じて

本音を話してみようと思いました。

 

そして、

私の父親は独特(A風な人)なので、

父親のせいで精神的に大変です、と

上司に話したところ、

「お前のおやじはちゃんとお前を

育ててきてくれただろう?

それで十分じゃないの?

お前のおやじは間違ってないぞ」

と返ってきました。

 

価値観をかぶせられたような

感じでした。

 

それって、私が否定されたことであり、

自分が間違っていると認めないと

この上司の価値観は共有できないことであり、

そうしなければ、この上司と対立することに

なってしまいます。

 

上司と対立するようなことになれば

この人は怒り出すだろうと思ったので、

「そ、そうですね。」とだけ言って

後は上司の話をただただ聞いていました。

 

あれ?最初の目的は、

私がすっきりして

気持ちよく仕事に取り組めるように

相談に乗ってもらっていたのでは

なかったっけ??

と、思いながら...。

 

この上司は最初から

自分が話したいことを話すこと

が目的だったようです。

 

そうして話せると

この上司が癒されます。

 

こちらから見ると、

貢献の搾取となってます。

 

その後は、この上司には

仕事のこと以外の相談は

しませんでした。

また、

当時仲良くしていた飲み友達と

飲みに行ったときのことです。

 

一杯目を飲み始めた頃に、

その人は私のことを心配して

「大丈夫?本当は大変なんじゃないの?

何でも話して、ちゃんと聞くよ」

みたいに言ってくれました。

 

そこまで言われて

じゃあ、話してみようかと思い、

話してみました。

 

それは、

私の母親が禁止することは力強いけど、

「どうすると良いのか」については

何も教えてくれずに

「それは自分で考えることでしょう?」の

一点張りなので、話にならない、

という内容でした。

 

例えば、

将来なりたい職業を母親に話すと

すべて「それはダメ」と言われるのです。

 

あれもダメ、これもダメ、で、

それなら何なら良いのか?と訊くと、

「それは自分で見つけるものでしょ」

と言って逃げてしまいます。

 

何回も続いて

いい加減腹が立ったので

食い下がって

「それじゃ〇〇は?」と

あれこれ訊きました。

 

そこで返ってきたのが

「そんなのわかるわけないでしょう?怒」

でした。

 

やりとりした末にわかったのが

「一般的な職業(大きな会社の従業員)」か

父親と同じ職業なら良い、でした。

 

母親がどうして私の職業を縛るのか

理解できませんでした。

 

当時はこれが

なかなかに苦しかったのです。

 

でもこんなことを話しても

相手はおもしろくないだろうと思って

普段これを話すことはありませんでした。

 

でも目の前の友達が

「なんでも聞くよ」と

言ってくれているのですから、

今は好機と感じたので、

勇気を使って話してみました。

 

話せることができれば、

苦しい思いがやわらぐと思ったからです。

 

しかし、

話したらやわらぐことはなく、

逆に苦しい思いを深めただけでした。

 

なぜなら、

その友達がこう答えたからです。

 

お母さんを責めちゃダメだよ!

お母さんは何も悪くないよ!

一生懸命にお前のことを思ってるだけだよ

 

へ?

何でも話して、良かったのじゃないの?

聞いてくれてないじゃん、それじゃ。

 

不意打ちをくらったかのような感じで、

しばらく呆然と友達の話を聞いてました。

 

聞いているうちにわかったのが、

その友達は母親を大事にしていること、

その”母親”とは、自分だけではなく

”すべての母親”ということ、でした。

 

君が私の母親を大事にするのは

何も問題ないけど、

今は私の話を聞いてくれる時間

ではなかったの?

 

いつから

私の話をする時間から

君が「母親は大事にするもの」と

説明する時間になったの?

 

これ以来、

この友達と飲みにいくのが

嫌になっちゃいました。

もし、

上司が父親を擁護せずに

「そうか、大変なんだな」と

そのまま聞いてくれたとしたら

私は癒されていました。

 

もし、

友達が母親を擁護せずに

「そんなことがあったのか。

それは大変だったね。」と

そのまま聞いてくれたとしたら

私は癒されていました。

 

一回そのまま非難させてくれれば、

次に進めるのに、と当時は思ってました。

 

次に進むとは、

自分の身に起きたことを

父親のせいにも母親のせいにもせずに、

自分で責任のすべてを引き受けて

「これからどうするか」を

話したくなる状況になる、ということです。

 

実際に、こうした経験をしたので、

私は非難について聞くときは

そのまま聞いています。

 

すると相手の表情などの様子が

良い感じに変わって、

「これからどうするか」の方へと

関心の先が変わっていくのです。

(ここに癒しが起きています)

 

相手が

非難することばかりを続ける人なら

それであなたは

どうしたいと思ってるのですか?」と

一度、真剣に向き合って訊きます。

 

すると相手は、

非難を続けたい場合には、

その後は私に非難の話をせず、

他に聞いてくれる人をみつけて

また同じように非難の話をします。

 

一方で、本当にやりたいことは

非難することではないと気づいた人は、

「これからどうするのか」の話

少しずつでも話してくれるようになります。

 

こうして、

「これからどうするか」に関心を持てれば

非難しただけでは終わらず、

具体的に状況をよくしていく行動へと

つながっていきます。

 

その行動こそが

実際に人生をよくしてくれるのです。

 

相手の非難の対象を擁護することは

相手の踏み台にして

自分の個人的利益を得ようとすることです。

 

でも、相手が

「これからどうするか」へと関心の先を

向けたくなるような接し方をすることは

相手の利益に貢献する接し方です。

 

そうして

相手の人生がよくなっていくことは

嬉しいことです。

 

嬉しいと感じたときには

自分の共同体感覚が高まります。

(共同体感覚とは、端的にいえば、

自分の居場所がある感覚です。

”しあわせそのものの感覚”ともいえます。)

 

相手から見たら、

自分の利益に貢献してくれる人は、

大切な人となります。

 

そんなやりとりが続く関係であれば、

自然と互いに良好な関係だと感じます。

 

 

 

お読みいただき、

ありがとうございます。

 

プロコーチ10年目、常楽でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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