美徳の承認その35/52
【慎み:Modesty】

■慎みとは

慎みとは
自分を尊ぶ力です。

尊ぶとは
大切にすることです。

自分が自分自身と
良好な関係を持って、

うぬぼれでも
自画自賛でもなく
自分の価値を見て
「価値がある」と
感じることです。

そして、慎みとは
自分を利用して
私利私欲を満たそうとする人から
自分を守ることです。

自分の手柄ばかりを
周囲に認めさせようとしたり、
自分を他人の欲を満たす道具のように
している人は、
慎みを持っていないわけではありません。

慎みを使っていないだけです。

慎みは
誰もが生まれながらに
持っている力です。

あらゆる人が
使える力です。


■自慢する必要がない

慎みを使えると
自慢する必要がなくなります。

自分が自分であることで
満たされるからです。

自慢したり
うぬぼれを示したり
自画自賛ばかりしている人は
劣等感のある人です。

劣等感とは
自分の何かが
一定の基準に達していないことを
「悪いこと」と信じる気持ちです。

劣等感があると
「悪いこと」がある自分が
「悪くなくなった」ときに
それを周囲に認めて
もらいたくなります。

その行為が、自慢です。

なぜなら
他人の評価が大切だからです。

一方で
慎みを使えると
劣等感ではなく
劣等性を見るようになります。

劣等性は
「違い」です。

自分の何かが
一定の基準に達していないことを
「ただの事実」と見るので、
「違い」を感じるだけです。

劣等感を感じる人は
劣等感を癒すことが
目的となりがちですが、

慎みを使えると
理想に足りていない自分が
今何をすれば理想に近づくのか、を
見るようになります。

だから慎みを使えると
自慢する必要はなくなり、
必要なのは
理想を実現させるために
必要なことをやることとなります。


■自分は他人の道具ではない

自分は他人に利用される
道具ではありません。

自分の心や身体を
相手の私利私欲に利用させると
「役に立った感じ」がしてしまうのは
慎みを適切に使えていない状況です。

自分には価値がないと信じる人は
他者に利用されると
「ありがとう」とか
「役に立ったよ」とか言われて
その他者評価によって
はじめて自分には価値があると
勘違いしてしまいます。

すればするほど
自分には犠牲が出ますので
消耗していきます。

なぜなら
大切な自分を
大切にできていないからです。

自分が役に立ったと
感じられることと引き換えに
自分を犠牲にしてしまっているので
自立および自分との調和が
崩れてしまっています。

刹那的なしあわせを
感じることができても、
何もない状況だと不安に
なったりします。

薬やお酒の依存症のように
またしないとしあわせを
感じられない体質に
なってしまうからです。

慎みを適切に使えると
自分の心や身体を
私利私欲に利用しようとしてくる
他人の手から守ります。

そんなことをしなくても
自分に価値があることが
わかります。

その価値とは
自分に犠牲の出ない他者貢献です。

アルフレッド・アドラーは
「所属する共同体の利益に貢献する」ことで
感じるしあわせを得られると
言っています。

そのしあわせとは
「自分の居場所がある感覚」です。

自分を他人の私利私欲の
いけにえに差し出す必要など
皆無です。

共同体の利益に貢献すれば
自分に犠牲を出さず、
さらに社会との調和も持ちつつ
感じるしあわせを増やしていけます。


■共同体への貢献

共同体とは
人のあつまりです。

アドラーは
共同体を3つに分けています。

1、仕事
2、交友(ともだち関係)
3、家族

仕事とは
仕事や学校、
塾や趣味の集まりなどです。

例えば仕事なら
職務を遂行することで
職場の役に立つことができます。

自分の心も身体も
いけにえに捧げる必要など
ありません。

その職場の目的の実現に
役に立つことをすることで
その職場に自分の居場所がある感覚を
得ることができます。


交友は
友達との関係です。

仕事という共同体では
共同体の目的が
事前に決まっているので
わかりやすいのですが、

交友はその目的が
事前に決まっていません。

簡単に言えば
友達である相手に
喜ぶことをしてあげることです。

例えば
重い荷物を持っていたら
「片方、私が持ってあげますよ」と
声をかけてあげたり、
「これ、好きな音楽だよね」と
相手の好きなものの情報を伝えたり
「誕生日、おめでとう」と
誕生日を祝ったり。

また友達と一緒に何かをするときに
その目的に即した行動をすることです。

例えば
キャンプを一緒にするなら
そのキャンプに役立つ行動を。

一緒に料理を作って食べるなら
それに役立つ行動を。

一緒に旅行に行くなら
それに役立つ行動を、
することです。

自分の行動が
相手からみて「役に立った」と
なるかどうかは
その相手次第です。

だから相手に
「自分の行動が役に立ってるかどうか」を
適度に確認することが
大切になってきます。

さらに家族になると
「家族の役に立つこと」を
することが
共同体の目的に貢献することに
なります。

そこでも自分の行動が
相手にどう映っているのかを
適度に確認して
お互いの共同体の目的を
シンクロさせておくことが
大切になります。

そうして
「自分より相手優先」な自分で
共同体の目的に貢献できると
自分の居場所がある感覚を
感じることができます。

そこには犠牲はいりません。

自分を大切にしながら
できます。

そうして貢献できたときには
相手の喜ぶ顔が見えると
自慢など忘れて
ただただうれしい気持ちを感じるでしょう。



お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ9年目、常楽でした。



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