子が親に似るのは
理由があります。

それは、
生存可能性を高めるため
です。



これ知らないと
生存可能性を高める方法は
親に似ることだけなので
他の方法を選ぶことはできません。

しかし、知っていれば
子は他の方法を選べます。

これって、
似るのが嬉しいのなら
問題ありませんが、
似るのが嫌な方には
重要なことです。



子は親に似ることで

・親と連帯していると家族に示す
・親の持つ権力を手に入れる

をしようとします。



親と連帯している、
すなわち家族の中で
親と一番仲が良い地位を手に入れれば
親の協力を優先して得られます。

親鳥が餌を優先してあげる子が
生き延びる可能性が高いことに似てます。

また、自分以外の家族が
自分が親と最も仲良しの状態を
「普通」とか「標準」と認識してくれれば
有利な地位を確保することができます。



親は家族の中の権力者です。
子は親に見捨てられたら
生きていけないと思うくらい
親は権力を持っています。

そんな生存の成功者である親の
その成功する方法、

例えば
身振り手振りや口癖、
立ち居振る舞いや価値観などが

その親の権力を支えてます。

その親に自分を似せると
最も生存可能性が高まると
信じるわけです。

嫌な親に似てしまうのも、
こんな仕組みがあるからです。



幼い頃、私は
親のことが大好きでした。

大好きなので
疑うことを知りません。

他人を悪く言う親を見習って
自分も他人を悪く言いまくりました。

AにBを悪く言う。

BにCを悪く言う。

CにAを悪く言う。

悪く言うと
悪く言う対象の人だけ悪くて
自分と相手は善な感じがして
楽しかった。

でも、
AがBに
CがAに
私の話を伝えたりして
私の信頼はどんどん減っていった。

続ければ続けるほど
他人は私から離れていった。



親が生きる見本。
その年齢まで生きられた
生存の成功者。

同じようにすれば
同じように成功できるはず。

心の底から信じていた。

でも、やってみたら
自分から人は離れていくばかり。

寄ってくるのは
お金か何かを借りに来て
返す意思のない人か、
罠にはめて奪おうとする人だけ。

助けてくれる人なんて
いない。

親は正しいはず、と信じて
さらにやってみる。

でも、話かけたとたんに
立ち去る人が増えていく。

おかしい...



実験してみることにした。

AにBを悪く言わない。
BにCを悪く言わない。
CにAを悪く言わない。

すると、
話しかけようとしても
相手が立ち去ることが減った。
自分にうれしい結果を得られた。

と、いうことは、
親が間違っているということ?

他人を悪く言うと
生存可能性が高まると信じてたけど
違った?



親を信じたくて、親に訊いてみた。

「他人を悪く言うのはよくないこと?」

すると意外にも「そうだよ」と言われた。

ビックリ。


親は普段自分たちがしていることが
わからないようだ。

自分は完璧な親だ。
たまに完璧じゃないけど
そこは見逃せ。

そんなことを言われると
自分もそんなこと言ってもいいのだと
嬉しかった。

でも、これって
自分はひどい扱いを受けているんだと
わかってきた。

だって
親の自分を信じていいよ。
でもたまに間違ってるよ。
間違っても責任はとらないよ。
そんな無責任で自分本位なことを
言われている状況だ。

無条件に親を信じては
ダメなんだ、と
幼いながらに学んだ。



その後、性被害などがあって
「親大好き」は消えて
もう仲良くなりたいと
思わなくなったが、
外では「親に似てるね」と
言われることがあった。

似せようなんて
絶対にしていない。

むしろイヤな彼らと
似ているなんて
とてつもなく気持ち悪い。

でも
「似てるね」と
言われることは続いた。



なんで似てしまうのか?
似ないように
「自分は自分だけの自分」
「この世界に唯一の存在」の
はずなのに
「似てるね」と言われる。

謎だ...

この謎は
とても重かった。



謎が解けたのは
アドラー心理学を知ってから。

何十年経ったのやら。


私は親が好きで
親に似たいのではなかった。

親が嫌いであっても
その権力は魅力的だった。

その親のもつ権力を手に入れ
家族の中の高い地位を手に入れ、
社会で生き延びる優位性、
つまり生存可能性を高めたかった。


その権力を手に入れると
「自分を信じろよ。
でも間違ってることもあるから
その時は見逃せよ」みたいに
ずいぶんと身勝手なことを言っても
生きていけると信じてたから。

そんな身勝手なこと言いまくっても
人は離れていかないとも
信じていたのかもしれない。



親が好きで
似たくて似ようとするのは
楽しいことです。

しかし、
親に似たいと思ってないのに
似てしまうことは
悲しいことです。

親に似るかどうかは
目的ではなく、手段です。

手段なら、選べます。
自分の意思次第です。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。


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