あるがままの在り方が小学校3、4年生のときの在り方って、絶妙だなーと思う。
1、2年生ではまだ小さくてよくわからなかったり、親の監視下で過ごすことも多く、社会の中での自分てかんじじゃない。
3、4年生って、行動範囲とかも、ちょっと広がるし、自分て何だろう?とか、他者との違いなんかも少し感じ始める。
逆に5、6年生になると、カラダの変化もあるし、周りの目とか気にしちゃって自分を出せなくなってくる。
そんな小学校3、4年の頃、思い出せないなーと思ってたけど、そんなことなかった。
何か特別なことを思い出そうとばかりしてただけやった。
小学校3、4年で一番に浮かんでくる光景は、女子の友達と遊んでたこと。
好きな子ばかりじゃなかったけど、でも、いつも誰かと遊んでた。
人と比べて、優越感感じたり、劣等感感じたり、羨ましくなったり、嫉妬したり、なんやかんや感じながら、生きてた。
やりたいことやって、やりたくないこともやって。
なんだ、今とあんまり変わらへんやん。
やっぱり、それでいいのねー。
気になる男の子も何人かいて、可愛く思われたくて時にはぶりっこしてみたり(^.^)
それから、やっぱり夏休みなんだよねー。
お姉ちゃんもまだ小学生やったから、結構一緒に遊んでた。
幼なじみやお姉ちゃんの友達とプールいったり、自転車で探検して、学区外まで素敵な公園見つけに行ったり。
楽しかったな~。
朝から、ラジオ体操行って、夏休み子供アニメ見て、遊んで、笑っていいとも見ながらお昼ご飯食べて。
ごきげんようと、昼ドラ(天まで届け)見て、また遊ぶ。
お母さんはパートに行ってたり、家にいたりしてたらしいけど、圧倒的にいないイメージ(笑)
お母さんいたっけ(笑)!?
毎日が子どもの世界で、こんな毎日がずーっと続いてほしいと思ってた。
キラキラ☆キラキラ☆してた。
夕方にはいつも雷と夕立があって、ざーっと濡れて涼しくなって。
盆踊りも大好きやったな♪
(屋台のすもも飴が大好きなんだけど、関西来てから見たことないの(T_T)誰か知らないかな~)
今と違うな~って思うのは、やっぱり、
「今」を生きてたというところ。
高学年くらいからは、楽しく遊んでても、終わってから「今」を、楽しかったなーって思い返すんやろうなっておもいながら、遊んでた。
それが、すごく、寂しかった。
「今」に集中できない。
あとは?
学校の勉強。割りとできてたんだけど、本読んだり文章書くのも好きだったんだけど、でも、なんか、センスないなってコンプレックスに思ってた。
勉強できたって、身になってるわけじゃない。
理科の実験とかやって、考察、とかわかんない。
これこれこうなって、ああなった。
…で?
だから?
それがわかって何なん?
すごいーっていう感動とか、どうしたらこうなるんやろう?みたいな疑問とかなくて、
勉強できなくてもそういうのができる子に負けてる感じがしてた。
詩とか読んでも、よくわかんない。
なんか、感じられなかった。
浅はかなんだよね。
感想も、面白かった、楽しかった、そんだけ。
だから、感じられるようになりたかった。
うん、でも、これは、できるようになってきたな(^^)
「今」を生きるは、まだまだなかんじだけど。
それと、実はものすごーく淋しがりで、周りに思いっきり甘えて生きてたことも再確認。
居場所がないだの、一人になりたかっただの、
でも、私はいつも誰かといたし、サヨナラするときは、もしかしたらこれがこの人と最期の別れに奈良のかもしれない、何て感じてた。
で、そう思うと、涙が溢れそうに、その人とのサヨナラ(明日も遊ぶ約束してるのに)が、寂しくて寂しくて、いつまでもずっと一緒にいたいよー、離れたくないよーって、こっそり思って泣いていた。
こないだ、それを家族にぐわーって感じて(連絡なくて帰りが遅いと、どっかで死んでるんじゃないかといつも思う)、寂しくて、どうしようーってなって、
帰ってきてくれて、すごーく安心した。
声がするっていいなあ、人がいるっていいなあ。
ありがたいなあ。
イライラして怒るけど、でも、やっぱり、みんな「居るだけでいい」
あの頃、湾岸戦争もよくニュースでやっていて、このまま第三次世界大戦が始まっちゃって、「今」が終わっちゃったらどうしようっていう不安も抱えてたな。
どうか、どうか、戦争はもう起こりませんように。
命を脅かされることなく、安心して、安全に、のんきに元気に、みんなで笑って暮らしたい。
それが、ワタシのココロからの願いです。
そんな、小学校3、4年生みたいな毎日を過ごしたーい、みなご☆でした(^.^)