戦後生まれの多くの日本人は「WHY」、「なぜ」を考えることが苦手だ。

 

それもそのはず、戦後教育は日本人から「WHY」、「なぜ」という言葉を奪うことを続けてきたからだ。

教科書を鵜呑みにすることに全てを捧げ、自分で考えなくとも既に答えは出ているという一方的な考えを押し付け、それをただただ吸収できる人を育て続けた。

 

ちなみに私は、幼い頃から人一倍「WHY」、「なぜ」に興味を持つ子だった。

いや、子供の頃は私だけでなく、多くの子供たちが日常に「WHY」、「なぜ」を持ち続けていたと思う。

 

どうして高い所に上ったらダメなんだろう。

車のドアは大きく開いたらダメなんだろう。

どうして挨拶しなくちゃいけないんだろ。

 

私は疑問を持ってしまったものについては、いちいちそれと正反対のことをしてみせた。

実際やってみると、8割方大人の言っていることが正しいことが分かった。

ただ2割(高い所に上らないなど)は、万が一の危険性を回避するための指摘であったため、未だにそれがいいのかどうかは分からないけど。大人になれば、そういった言葉がけで子供に危険性を伝える必要性はあることが分かった。

 

私の疑問は常識的な分野に収まらず、いわゆる人の癖というものにも常に疑問を持っていた。

保育園の先生が歯磨きする時に、いつも首にタオルをかけているのが不思議で、ある時「どうして?」と聞いた。

先生は悩んだ末に「癖だよ」と教えてくれたが、6歳の私は癖という言葉の意味が分からず、それから5年くらい「癖」について考え続けたこともある。今はなんでそんな事に頭を使っていたのかが不思議だけど、あの頃は「癖」という概念がどうしても分からなかったんだ。

 

こんな風に疑問を持つことが得意な私だったけど、受験教育を経験するうちに「なぜ」を考えなくなっていった。

考えることよりも膨大な量の情報を覚えることのが先決だった。

 

そして大学を卒業して、社会人になった頃には考えることがほとほと苦手な人間になっていた。

 

けれども21歳の時に入社した会社の業務によって、私の「WHY」、「なぜ」の思考は劇的に復活を遂げた。

その会社は主にマーケティング&プロモーションをしていた。

マーケティングもプロモーションも、現状把握と目的達成のために「WHY」、「なぜ」の思考を駆使する必要がある。

ある程度、「なぜ」の理由が絞れてきたら、それを仮説として軸に置いた上で、実証検証を重ねていく。

 

この会社には15年お世話になったのだけど、この時身に着けた思考力は、波動やエゴを解明するために本当に役立っていると思う。

 

私はいつも本当にそうなのか?疑問を持つことが多い。

実際やってみたら、同じ感触を得れるのか?そのために行動することも多い。

 

そして、疑問と実行を掛け合わせて、自分なりに分析することも常である。

 

 

私は5年前にスピリチュアルな世界に飛び込んでとにかくびっくりしたのは、

 

多くの人は自分で考えもせずに、ただただ情報を鵜呑みにするということだった。

実践することもしないまま、誰が正しいのかただ評論を続けているということに、本当に驚いた。

 

情報の中で気になることがあったら、気になる部分をはっきりと見つけること。

見つけたら、その情報に疑問を持つこと。

そして検証してみること。

 

すると、あやふやだった情報は立体化され、深い意味が見えてくるはずだと思う。

 

 

◆今日の八重山の思い出◆

ナーラの滝の石の上♪

石の上で寝るのは、波動調整になってとっても気持ちいい♪