今までは、いまいち掴みどころがなかった、「孤独を感じてしまう理由」について。


それがね、この間作ったプレゼンシート「エゴの正体」を雛形にすると、それも説明できるんだ、って言うか、至極当然のことのように思えたの。

だって、全ての生命意識のごくごくスタンダードな状態って言うのは、いつも繋がりを意識できている状態なんだからさ。

それが、エゴという皮膚膜によって遮断されてしまっているから、孤独を感じてしまうし、孤独じゃない状態に戻ろうとするのは至極当然の成り行きなんだよね。

それに、「孤独の理由」をきっかけに、「終わらない自分探し」をしてしまう理由も分かった。



という事で、最近多用中のプレゼンシートを使って、ちょっとやってみるね♪


そもそもの本来のエゴの役割と状態はこういう風



(ここからの説明でクエスチョンマークがいっぱいになってしまった人は、こちらの記事からどうぞ→ト「エゴの正体」)

生命の意識として適切な位置(「いまに在る」状態)に留まらせてくれているもの。

だけど、色んな事があって、今はエゴそのものが意識を持ち、私たちの意識はエゴという皮膚膜かその外側で思考するようになってしまった。




となると、人はもちろん孤独を感じるし、鏡に映る自分の姿に、「自分じゃない。」何かしらの感覚を抱いてしまうんだと思う。

確かに、本来生命体としてあるべき場所に意識が留まっていないから、それはごく自然なことだと思う。


だから、孤独を感じる欲求を回避しようと、はたまた「本当の自分とは何なのか?」知る事で、孤独によって与えられる心の欠乏感を補おうとしているんだと思う。


そこまでは、ごく自然な欲求体系として進んでいくんだけど、その探し方がエゴの構造体系を理解しきれていないまま、進めてしまっているから、いくら頑張ってもたどり着けない、余計に孤独を感じてしまう環境に置かれてしまっているのではないかと、、、思うのです。


人が上記のような欲求を持ち合わせた時、大きく分けて2種類の行動パターンが存在していると思います。


①外に自分の姿を求める。

ほとんどの人がこのパターンに当てはまると思います。

職業、肩書き、収入、学歴など、「評価」に値される称号を元に自分のパーソナリティを作り上げます。
自分で自分の事がよく分からないから、人が評価してくれる分野などを通して、自分を知ろうとしていきます。
そして、そのような外部評価によって与えられたパーソナリティと自分を同一化していこうと努力していきます。

が、

本当のあなたの存在はそこにはいません。

だからこそ、多くの人は病に見舞われます。

現在は、ちょっと前の昔よりも、外界評価によって自分を形成していこうという気質が高まってしまっている為、多くの人は、他人からの評価を欲しがってしまいます。

しかし、その欲求に自らが応えよう、応えようとすればするほど、自分の心は枯れたような気持ちになっていき、

どんどん本当の自分が分からなくなっていくようになっていき、ひどく落ち込むようになっていきます。

今、日本人の多くがうつ病で悩んでいますが、その原因の根本は、やはり外に自分の姿を求め、本来の自分ではない(自分らしくない)、外界によって作られてしまったパーソナリティの中で、生きよう!、生きようと努力した結果の現れではないかと、私は考えます。


しかし、そのように外に求め求めていった結果、「そこには何もなかった。」事を知るのは、実は、大きくエゴを消滅させるチャンスでもあります。

ただ、この方式は、時間がかかる上に、心労&疲労具合が半端ないので、私はおススメしたくないですが、、、。
(というより、もっと効率的に「いまに戻る」方法を探求しています。)



②内に自分を求める。

スピリチュアルの認識を持つ方々たちが、この方法にトライしていると思います。

軽くこの話を聞くと、この方法でいいじゃんって思うと思うんだけど、

確かにね、外に出てしまった意識は、中に戻ろうとしなければ、いつまで経っても自分が分からないから、、、。

だから「これでいいじゃん!内に自分を求めればいいじゃん!」って思われがちだと思うんだけど。。。


これが、結構危険なのよね。。。。


見えない世界を扱うものだから、、外の世界で自分を探すより、ちょっと大変なのよ。

このプレゼンシートにも記載してる通り、私たちは自然な欲求の一つとして、外に出てしまった意識を中に戻そうとしています。



けど、そこに立ちふさがるのは巨大なエゴという壁。


「これをちゃんと直視出来るか?」


って言うこと。


本音の話、スピリチュアルや宗教にはまっていて抜け出せない人の多くは、エゴにまとわれている自分という存在を直視出来ていないと思う。

エックハルトトールも著書の中で、「スピリチュアルな世界で生きている人のエゴが、億万長者の人が抱えているエゴよりも大きいことはよくある。」言っていたけど、私も、実際スピリチュアルな世界の住人たちとまぐわってみて、この言葉大きく頷けるんだ。

なんで直視できないかっていうと、

エゴって結局、「癌」だからさ、本来の自分の姿と比べたら絶対的に醜いわけよ。

そしたら、もちろん見たくないよね。通常の欲求だったら。

例えば、泣きすぎてしまったり、飲みすぎてしまったりした翌日、鏡で見る顔ですら、直視したくないもんね。

でも、むくんでしまった顔はさ、リアルにそれを教えてくれるからさ、見ざる負えないけど、見えない方の心だったら、なんとか綺麗に直様リニューアルできるのならリニューアルしたいし、自分の醜くてみたくない部分には蓋をして、それで綺麗な言葉で自分自身を埋め尽くして生きていたいもんね。その方が楽だもんね。

気持ちはよく分かるんだ。


だけど、その醜い部分を照らさないと、醜い部分を自分で気がつかないとエゴは消滅しないんだ。

って言うか、「気がついた」それだけで、エゴは消滅してくれるんだけど。。。。


そう言った自分の一面を開くのがきっと怖いんだと思う。

で、蓋をしてしまって、更に自分の心をお花のようなもので飾ってしまっているものだから、余計にそのギャップの恐怖が大きくなっていると思うんだ。


だけどね、それはエゴを消したことにはならないから。

結局



エゴが存在している青線内で考えていることになるから、結局エゴに使われて、エゴを育てまくちゃってるわけ。

だから、自分でも気がつかないうちに、どんどん、どんどんエゴが肥大化の一途を辿っていっちゃうんだ。


でも、自分の中でそんな風にエゴを大きくしてしまっている事の自覚がないままに、もっともっとと、内の中に自分を求めるから(結局、そのやり方では、自分が見つからないから、行動がエスカレートしていく。)どんどんややこしいことになっていくんだ。


瞑想にはまるのもいいけど、大きなエゴで覆われた意識状態の中で、神の化身になりすまし、あなたに言葉を授けているのは、本当は誰なのでしょうか。


なんだか、まるでいつも通りのスピ系悪口っぽくなっちゃってるけど(笑)。。。。


瞑想して、やたら高次の意識体と呼ばれている「天使(ミカエルやラファエルなど)」と繋がりたがるのも、このゾーンにいる人。


審神者も審神者じゃなくなっちゃってるから、互いの勘違いでどんどんエゴの肥大化が強烈に続いていくんだ。


エゴは、出来上がってしまっている「エゴの意識」を消されたくない欲求が既にあるのね。

だから、この構造パターンを直視されたくないから、見なくて済むように、見なくて済むようにって、人を仕向けるんだ。


だから、さっきの①に話が戻るけど、外に自分像を求めてしまうのも、そういうエゴの構造パターンが起因しているの。


すごく常識的で肩書きも優れてるのに、自分を見せたがらない人ってたまにいるよね。
本当の自分を見られたくないのは他人に対してじゃなくて、自分自身が本当の自分を知りたくないって、どこかで思ってる現れなんだと思う。

多分、その人が思っているより、そのエゴの状態はたいした事がないはずだと思うけど、外向きに頑張ってはいるけど、エゴを直視できない人は、そういうパターンに陥りがちだと思う。

身分やお金や衣服や持ち物で、なんとか自分というものを素晴らしいという形にしていきたいって思って傾向が強いと思う。

確かにその人の中には、本人が直視できないエゴが存在しているけど、だけれども、スピリチュアル依存してしまっている人よりも、確実にエゴ膜の厚さは薄いはずだし、エゴそのものの状態はそれほど醜いものでもないと思う。


それに、現実界の側面で自分と勝負しながら生きている人たちは、自分の都合ではどうしようにもならないピンチの事態とか、腹をくくって自分を変えなきゃいけない修羅場みたいなのを少なからず乗り越えてきてここまで生きてきてると思うの。

だから、その過程の間で、エゴが消滅してたり、内向きへ積極的な意識を傾けなくても、内から出てくる言葉やアイディアと上手く付き合っている事が多い。

外に向かって生きている人は、執拗に他人の評価を求めようとしなかったり、自分を責めすぎていない限り、ほぼほぼ現代人として適性に近いエゴの状態に留まっているはず。

(エゴを「適正」と表現したのは、現代社会の仕組みが「今」に根付いていないため、全くエゴのない状態を保ちながら、普通に働くのはかなり高度な技になってくるから。)



それが、エックハルトトールが言っていた言葉の意味だと思う。

「スピリチュアルな世界で生きている人のエゴが、億万長者の人が抱えているエゴよりも大きいことはよくある。」




結局、焦点はここなんだと思う。エゴと自分たちの関係値と扱い方を適切に知ること。




だから、

みんな孤独を感じて当たり前なの。

本当の自分を探したい欲求を持つのも当たり前だし、

自分という存在がなんなのか分からなくなってしまうのも当たり前だし、

自分の心を見たくないのも当たり前なの。




だって、私たちの前には、本来の自分の姿とは違うエゴが大きく立ちふさがってるから、色んな意味で本来の自分が存在できる意識の場所に戻るのは難しい。



でも、スピリチュアル依存してしまって、大きすぎるエゴ故に、抜けられない旅をし続けている人でもやれるエゴをハートスキンに戻す方法が確立できればいいなぁって思ってる。


そんなこんなで、今日も探求結果を披露中です。


ご清聴ありがとうございました!