人は口を開けば、「幸せになりたい。」と言う。

今目の前にある「幸せ」に気づかず、「幸せになりたい。」と言う。


そもそも、それが矛盾しているんじゃないかと思い、ずっとその事について、批判めいた言葉も交えながら、その事象について、つらつらと書き続けていたけど。。。。


数日前の開眼で、ようやくその本質にある理由にたどり着けたように思う。



生命というのは、日常的、恒常的に「幸せ」の体感を維持するように出来ている。

また、「幸せ」を体感している時こそが、生命としての本来の状態だったんだね。



だから、私たちは「幸せ」探しに明け暮れる。

当然の摂理とも言える。




でも、この時代に生きる多くの人たちは、その「幸せ」を日常的に、恒常的に体感出来ない状態が続いているから、不安定になり、病気になっていく。



世の中には、それを阻止するかのように、そうじゃない人生を歩めるようにと、沢山の「幸せになるため」の指南書が出版されているけれど、その指南書によって、恒常的な幸せが掴める人はごく僅かだ。



ずっと、ずっと、どうしてなんだろう???

って考えてたんだ。



ようやく分かった。

エゴの扱い方を的確に認識していなかったからだって事に。



エゴと言うと、とかく悪者みたいな、醜いものとして扱いがちだけど、元々それは醜いものでも、悪いものでもない。


ずっと、私も私の中にあるエゴという存在が嫌で、嫌で仕方なかったんだけど。


実は、エゴって元々醜いものでも悪いものでもなくって、心の一番外側にある皮膚みたいな存在だったんだなって気がついたんだ。


心の外側にある薄い膜みたいな存在。


その存在によって、その存在が教えてくれる感覚によって、人は「今にいない。」という事を認識する為のツールだったんだなって。


例えば、肉体にある皮膚の感覚が無ければ、私たちは暑いも寒いも分からない。高温の水の中に手を入れても、その熱さが分からなければ、ずっと手を入れっぱなしにしてしまって、火傷してしまうし。

皮膚が教えてくれる痛みが分からなければ、四六時中怪我だらけで、まともな日常生活すらおくれなくなってしまう。


エゴと呼ばれる存在は、そのような「今にいない」という事を教える為の機能の一つとして存在していると思う。


「心が本来あるべき場所にいないよ!」って言う事を、痛みや感覚によって教えてくれる機能。


だけど、どこでおかしくなったのか、私たちの日常たるものが「今にいない」事が当たり前になっていったが故に、その感覚がおかしくなってしまったんだと思うんだ。


皮膚で言ったら、炎症がどんどんひどくなって、厚みもどんどんすごくなっていって、感覚の防御反応が明後日の方向に向かっているって表現すればいいんだろうか。。。。


本当は内側にある心が「今在る」の状態を維持するための機能だったはずなのに、それが「今にない」ていう事が継続的に続いていく中で、その皮膚が炎症みたいな事を起こして、膜が厚くなり、そして人は心というものを、炎症している膜の部分の中に置き始めたんじゃないかって、思うの。


いつしか、その膜の部分が意識を持つようになり、それが「エゴ」と呼ばれる存在となり、私たちを司り始めた。


それが、仏陀が開眼するずっとずっと前から、この世で起こってきた心の問題なのではないかと。。。。


意識を持ち始めたエゴは、この領域が無くなる事を恐れている。
だから、私たちの行動にいちいち抵抗を起こす。

何故、抵抗を起こすかといえば、「エゴ」が無くなってしまうから。



私が先日、エゴがパーソナリティに依存しないと言っていた所以はここにある。



性格の問題でも、経験の大小でも、生い立ちに起因するものでもなく、エゴがエゴとして存在し続けるために、その人の中でエゴがエゴであり続ける為の構造所以の反応を繰り返そうとしている。

ただそれだけの事だったんだと思う。



私はずっと謎だったのんだ。


何故、天はこのような面倒臭い機能を人に与えたのか、と。


未設定

天は全てを完璧に作り出すはずなのに、どうしてこのような欠格としか思えない機能を人間に与えているのか、と。





ずっと謎だったんだけど。



天は、常に完璧であったことに今一度気がつけた。




エゴと呼ばれる存在を、本来ある形に戻せば、それが如何に完璧な機能であった事を思い出せる。



この素晴らしい機能の事をもっと上手に伝えられるように、この瞬間からもっともっと尽力していくんだ( ´艸`)



きゃ!とっても楽しい♪♪♪