自分が自分の我欲やエゴというものに興味を向けるようになって、それを自分の力で減少させていこうと、努力を始めた時から、自分のエゴと同じくらい、人のエゴが気になるようになった。


私は、少しでも早く、沢山、自分の我欲を消滅できればと思いやっているからこそ、日々のトラブルや人間関係のいざこざ、それから怒りなど、、全ての事象がサンプルで、全ての感情が分析の対象で、だからこそ、何か想定外の事が起こったとしても、全てを受け止めるっていう事が可能になった。

もっと言えば、全てを受け止めることこそが、自分の我欲を手放す絶好のチャンスであり、いい機会だなぁって、気がついた。


だけど、みんな、手放せずにいるみたい。


誰かの言葉や自分の都合に合わない事象を受け止めたら、自分が無くなるって怖がっているように見えたんだ。


受け止めたら何が無くなるって、我欲が無くなるだけなんだけどね。

でも、我欲は、「これがあなただ」って嘘をついてずっと生きてる。騙して生きてるし、実際受け止めたら、我欲は無くなっちゃうからね。我欲をあなただと思い込んでいるだけに、確かに「あなたを失っちゃう」ような錯覚はしちゃうだろうね。


好きな事に没頭したり、想像が創造を作ることを認識して実践したり、そういう事で、他人軸部分に依存していた我欲の力は随分薄まるんだけどね。

結局、エゴを理解していないと、人はやっぱりエゴにぶつかるんだなぁって思うこともしばしば。

私の観察結果だと、好きな事に没頭したり、想像が創造を作ることを認識して実践したりして、他人に依存していた我欲が薄まったとしても、そこでエゴという部分を無視していると、結局、依存は取り除けても、優越って言うような部分での我欲が残っちゃって、それが起因して、しっくりした幸せがいまいち見つからないような気がする。




ま、でも、手放せばもっと楽になるチャンスやタイミングをミスミス逃して、ずっと同じ所をウロウログルグルしている人の存在が見ていられなくなったって言うのが一番な気がする。


そういう人の為に、なんか分かり易くて恐怖を抱かずファッション的にやれる方法はないものなのかと、思い始めて、今に至る。