そんな訳で、自我とは、「未来」と「他者」に軸を置いてしまったことにより、我欲となっていった。

そんな思考が常識となり、長い長い歴史を刻むこんできた私たちに至っては、それがもうエゴなのか本能なのか、感情なのかすら分別出来ない所まで陥っているように思う。


その事実を事実として明確に受け止めたのは昨日のこと。


昨夜、ネットサーフィンしていたら、こんな記事を見つけた。

ゲーミフィケーション:16の基本的な欲求 | Gamification.jp

そこには、スティーブン・リースという心理学者が「人間には16の基本的な欲求がある」と主張している内容を元に、16の欲求が書き連なれていた。

スティーブン・リース 本当に欲しいものを知りなさい―究極の自分探しができる16の欲求

$いつの日も神社、時々たこ焼き。


16の欲求

力:他人を支配したいという欲求
独立:人に頼らず自力でやりたいという欲求
好奇心:知識を得たいという欲求
承認:人に認められたいという欲求
秩序:ものごとをきちんとしたいという欲求
貯蔵:ものを集めたいという欲求
誇り:人としての誇りを求める欲求
理想:社会正義を追求したいという欲求
交流:人と触れあいたいという欲求
家族:自分の子供を育てたいという欲求
地位:名声を得たいという欲求
競争:競争したい、仕返ししたいという欲求
ロマンス:セックスや美しいものを求める欲求
食:ものを食べたいという欲求
運動:体を動かしたいという欲求
安心:心穏やかでいたいという欲求


思わず、ふむふむと思ったけど、何か違和感。

その違和感たるものを自分なりに分析してみたら、こうなった。


力:他人を支配したいという欲求
独立:人に頼らず自力でやりたいという欲求
好奇心:知識を得たいという欲求

承認:人に認められたいという欲求
秩序:ものごとをきちんとしたいという欲求
貯蔵:ものを集めたいという欲求
誇り:人としての誇りを求める欲求
理想:社会正義を追求したいという欲求
交流:人と触れあいたいという欲求
家族:自分の子供を育てたいという欲求

地位:名声を得たいという欲求
競争:競争したい、仕返ししたいという欲求
ロマンス:セックスや美しいものを求める欲求
食:ものを食べたいという欲求
運動:体を動かしたいという欲求
安心:心穏やかでいたいという欲求



赤くした部分は、元々人が人として存在した時からあるもので、黒い部分は、自我が大きくなった事が起因して生まれたんじゃないかな?と思うもの。

後、黒い部分は、視点が未来や他者に置かれた事が起因していた事がきっかけで起きた欲求。すなわち、我欲だと感じた部分。



既に人は、それが自我が肥大化したが故に生まれた我欲によって発生された欲求なのか、本来の生命維持機能に備わっているものなのかの分別も出来ない状態にいるように思う。


実際私も、仏陀の考え方を知るまでは、その欲求の在り処とその欲求から発生してしまう感情などがコントロール出来る事も知らなかった。
多分何も知らない頃の私がこの16の欲求を見たら、「確かにそうだ。」とそのまま、この欲求は皆本能的に持ち合わせているものと、謝った解釈を事実として受け取っていたと思う。


私たちは皆犯されている。踊らされてる。
皆、自分の中にあるエゴという存在に。

これは、誰が悪いわけでもない、生きるのが難しかった時代の術とまたその自我の性質により、気づかぬうちに皆肥大化してしまったんだと思う。

ここ最近の日本のエゴの肥大化は確かにおぞましいとは言えるが、それも自身から創られた訳ではない、環境によって創り出されたものなんだ。


この時代に生まれた私たちみんなが取り組む一つのゲームの中に、「我欲の退治」があるように思えて仕方ない。


今までの地球は、ずっとずっと飢餓と戦い続けていた。

その上で生じてしまた我欲。ある種、仕方のない事であり、時代の必然でもあったように思う。


だけれども今、多彩な才能が発揮された現代に至っては、世界中の飢餓を救うことは決して不可能ではなくなった。

その為に今必要な事は、飢餓を回避するために養われてきた我欲たるものを、今度は手放す事が大きな課題としてみんな持ち合わせている、そんな時代なんじゃないかと思う。