エゴが肥大化していくきっかけの一つとして、視点が今(現在)から未来へと切り替わった事を一つの要因として呈示した。


それと、エゴを観察してみていると、もう一つ感じるのは、「他者」の存在だ。


「認められたい。」


などが、象徴する他者からの賞賛を渇望する動機や我欲。

これはどこから生まれたんだろう。



書いてて思ったんだけど、(って言うか、ぶっちゃけ書きながら結論を見つけています。あくまで自分の整理のための記事なんで、、悪しからず。。。)


身分の発生によってなんだろうな。


視点を未来に切り替えて、より良い安全で満たされた生活を追求していった結果、我欲の亡者とも言える存在が創られた。

支配とは、すなわち、自我が肥大化した結果、始まったように思える。

そして、その支配された環境の中、安全や安心を求める欲求が、人々の視点を自己から他者へ切り替えていったのだと思う。


元々の自我とは、所謂大我と同化した心に密接し、またその大きさも適切な肉付きを保っている事がベストと考えられ、

$いつの日も神社、時々たこ焼き。-1384846395657.jpg

その適切な肉付きの状態であれば、常に心が大我との密接なコミュニケーションも可能になる。それ故、他社と自分は個として別の存在ではあるが、「根本的には同じである。」という悟りがベースとなった生き方をしていたと思う。

そうであれば、「分かち合う」事も当たり前、「共同で楽しむ」事も当たり前、皆が自由に生きながらも、同じソースである理解を軸に、穏やかな暮らしが育まれた事であろうと思う。


しかし、自我が肥大化し、我欲となり、またその我欲に自身が追随していく形になっていくと、自己と大我との結びつきは離れていく。

その結果、自己と他者との明確な区別が行われ、いつしか「根本的には同じである、一つである。」という認識自体が薄れ、忘れられていった。


そしていつしか、人を区分する、身分たるものが創られていったのではないかと思う。



人は生まれながらにして、特性や興味があるだけで、身分になぞらえるような区分はなかったはずなのに。