千と千尋の神隠し。

私はこの映画を、我欲に満ちたこの世界をアニメというファンタジーな世界観の中で、浮き彫りに描いた作品だと思っています。


$いつの日も神社、時々たこ焼き。

(カオナシが一気に肥大化していく姿は、我欲というものが何かのきっかけで一気に肥大化していく様を象徴しているように見えて仕方がありません。)



先ほどのブログで書いたとおり、エゴの肥大化のきっかけとなったものは、

「劣悪な地球環境の中で、確実に生き残る為の保身による経験値によって、視点が未来に切り替わる事によって築かれ始めたもの。」

だと思っています。


ただ、このエゴたるものの性質を推察すると、その渇望を手に入れた瞬間から始まる

「もっと!」

という気持ち。


「もっと欲しい。」

「もっと頂戴。」


どうして、「もっと」と、より一層その気持ちが強くなるさまが現れるのかと考えれば、

それは、満たされると期待していた一瞬で、満たされなかったからだと思う。



「これで満たされるはずだ!」

と考え遂行してきた行動による成果が、自分の心の全てを満たすものではなかったのだろう。


だから、「もっとあれば、満たされるのではないか?」という、期待から発生した強い情動が、次の感情的な行動に突き動かされ、行動はより激しくなっていく。


「満たされないから、もっと、欲しい。、もっと、食べたい。」とエゴは強く要求してくる。


それがどんどんエスカレートしていった結果、自我であった存在は、我欲と呼ばれるエゴに成長していく。



どうして満たされないのだろうか?


それは、すなわち、心を「未来に置いた結果」だと思う。

エゴが大きくなっていく過程の中に、視点を未来に置くという行動が必ずある。

そして人は、未来に焦点を定めながら、今(現在)を生きるようになる。

だからこそ、目の間にある、今(現在)に気がつけなくなるようになるのではないか?と思う。



だから、今目の前にあるものに、心が満たされなくなった結果、自我は、肥大化した我欲から発生する強い欲求に逆らう事が出来ず、「もっと、もっと。」と、前に進んでいき、本来の自分の姿を忘れてしまって行く事になってしまったのではないか?と思う。