元々自我とは、自己とその他を区別するためのシンプルな機能であり、自己を継続するための保護機能の一つであったのに、このシンプルな機能が肥大化し始めた要因はなんだったんだろう。


私は、渡来人(弥生人)と日本の土着の民と言われている縄文人の生活を紐解く中で、その理由が分かったように思う。


最近の至る所でされている話などをまとめていると、

どうやら、縄文人は「今を生きる」という事がモットーと言える暮らしぶりであったようだが、

その後、新しく日本に根付いた渡来人である弥生人たちは、どうも「未来」に軸を置いた考え方をする傾向にあったように思う。

それは、穀物を育てること、収穫すること、備蓄すること。など、今に残る歴史の慣習を紐解けば、未来に向かって安定した自己を守りたいと考えている様子が見つけられる。


でも何故、縄文人は「今」に向かって、弥生人は「未来」に向かって生き始めたのだろか?

と考えると、

それは地球環境による、思考性の違いという所にたどり着くのではないかと思う。


縄文人が何故、「今」に集中して生きる事が出来るのであれば、その豊かな生活環境によってその思想が叶えられたのではないか?と思う。

豊かな土壌や清らかな水は、生きるのに十分な食物や生活用品を与えてくれた。

人口と生きる為に必要な自然の設備が、争う必要も無いほど、満ち足りていたのではないかと思う。


しかし、大陸の生活環境はそれと比べ、ひどく苦しい劣悪な環境だったのではないかと思う。

手塚治虫の書いた「ブッダ」を読んだけど、日本という土壌に住んでいる私たちからしてみれば、描かれた土地の環境は、想像し難い程、ひどく劣悪に感じるものだった。

だから、大陸側では、人口と生きる為に必要な自然の設備たるもののバランスが取れておらず、自然の供給量から見て人口過多にあったのだと思う。

そこで、自我(エゴ)は、安定した自我の状態を保つ為に、穀物を栽培するなどの未来に向った備蓄構造を推し量るようになったのではないかと思う。


そうして視点が未来に切り替わった結果、未来の安定や幸せを求める情動がどんどん大きくなり、いつぞやからそこに優劣を測る身分というものが発生したのではないか?と思う。


実のところ、弥生時代がいつから始まったのかは定かではないが、Wiki先生では、紀元前3世紀くらいとの事なので、だいたい大陸の方で仏陀が生きることを諭している時代と然程変わらない頃に、大陸文化が日本にやってきたんだろうと思う。


仏陀の残した言葉と照らし合わせると、既に私たちはその頃から、煩悩と呼ばれるエゴと戦いは始まっている。


渡来文化がやってくる前までの日本では、煩悩たるものが存在していたのかは定かではないが、それまで大きな争いごともなかったと思われる縄文文化と比較すると、やっぱり大陸側の方が煩悩たるものは大きく肥大の傾向にあったのではないかと思う。

すると、日本大陸でエゴの肥大化が始まったのは、だいたい2500年くらい前からなんだなと推察できる。


そして、大陸側と言えば、、、これはもう、それから更にずっとずっと遡った時代からなのでは?と思う。
これは、手塚治虫先生のブッダから入れた知識に偏るものになるけど、先生が描いたブッダの世界観を見ている限り、大陸側では明確な身分たるものが、仏陀が誕生するずっとずっとずっと前から存在しているように思われる。少なく見積もっても、500年以上前からだろうと思えるし、、、モヘンジョダロの遺跡が紀元前2500年前頃と言うのであれば、だいたいその頃からは、明確な身分たるものがあったのだろう。
と、すると5000年以上前からこのエゴの肥大化は進んでいると考えられる。


$いつの日も神社、時々たこ焼き。


ぶっちゃけ、アトランティスの時代まで遡ったら、既にその頃から、、、と言いたくなるような途方な月日になるのかもしれないけど、、、、。


とりあえず、エゴとは、、最近肥大化が始まったものではなく、長い年月をかけ、徐々に徐々に大きくなり、それが時代の急速な流れに必死についていこうとし、更に加速的に肥大化を続けているように思う。


この戦いが個人個人が臨む事は、未来永劫叶わぬとまで思われていた新しい地球のステージに昇る為に至極求められている事なのではないかな?って思う。



結局、エゴの始まりはなんだったのか?

と言えば、

劣悪な地球環境の中で、確実に生き残る為の保身による経験値によって、視点が未来に切り替わる事によって築かれ始めたもの。

じゃないかな?

って、私は思う。