日常で最近盛んにエゴと言う言葉が飛び交っているように見えますが、それは大きく分けて二つの意味で使っているように思います。


一つは、自我と同じ意味で使うエゴ。

もう一つは、エゴイズムやエゴイストの略で使われている、エゴ。


まずは、自我から説明するね。ググるとこんな言葉が出てくるよ。

自我とは、自己を対象とする認識作用のこと。
哲学などで、知覚・思考・意志・行為などの自己同一的な主体として、他者や外界から区別して意識される自分のこと。


なんだか難しそうだけど、自我って言うのは、自分という存在と認識できる機能と言えばいいかな?
人と自分を区分けするもの。
自分として有り続けようとするもの。

人って言う個体で私たちは生きている故、他人と自分を区別する事も必要だし、自分を生きながらえさせる為の生存本能みたいなのも持ち合わせていなければ、みんなご飯を食べるのも忘れて死んじゃうから、そういう風に自分という存在を成り立たさせるためにあるのが私たちの自我というモノ。



そして、エゴイズムは、利己主義のこと。エゴイストは利己主義者の事。
エゴイストでググるとこんな言葉が出てくるよ。

1 自分の利益を中心に考えて、他人の利益は考えない思考や行動の様式。利己主義。
2 哲学で、自我だけが確実に存在し、他は一切認識不能であるとする説。唯我(ゆいが)論。独我論。

日常用いられている意味では,エゴイズム(利己主義)とは自己の欲望の充足あるいは利益の追求をもっぱら念頭において行動し,その行動が他者や社会一般に及ぼす迷惑を考慮に入れない態度を指す。エゴイズムという語は個人主義individualismという語と同じ意味に用いられることもある。しかし個人主義という概念は自律autonomyの要素を含むと考えるなら,エゴイズムはしばしば個人主義ではない。なぜなら,エゴイストはしばしば特定の対象を他者が欲しているがゆえにその対象を自分もほしがり,一般に利益と思われているものを自分の利益と考えるからである。



本来は、生命の維持活動の一つとしてあった、自我やエゴというものが、いつのまにかどんどん前に出てくるようになって、肥大化した結果、エゴに自分の舵をきられるエゴイズムが蔓延している状態。

それが今。


生存していたい、自分として確立していたいって言う欲求ばかりがどんどん前に出ちゃって、適切な大きさを超えちゃったんだよね。


以前に、これ以上エゴを減少させるのは無理だ。エゴと握手して、これからはエゴをもっと付き合おうと思った時に書いた記事がある。

エゴと握手( ´艸`)


この記事に書いてあることを完結にまとめると、こんなこと。

私はエゴを無くそうと思った時から、「エゴとは自我のこと。」と書かれた辞書の説明にもの凄い違和感を持っていた。

だから、私としては

「エゴ」≠「自我」



「エゴ」=「利己主義」、「我欲」

と区分訳して、エゴを消滅する事にやっきになっていたけど、


適切な大きさに戻ったエゴとは、やっぱり

「エゴ」=「自我」

だという事に気がつきましたっていったような事が書いてある。



だから

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適切な大きさにある状態のエゴとは、「自我」であるといえ、

肥大化してしまっている状態のエゴとは、「利己主義」であると言えると思います。


私は、利己主義と言われる程肥大化してしまったエゴを自己認識作用の為のシンプルな機関であるエゴに戻すための方法などをカジュアルにして、体系化していきたいと思っています。


こんなまどろっしくて、学術的な説明をするんじゃなくて、もっとバラエティな感じにしていきたい訳だけど。

まずはね、自分で自分の思ってることを吐き出さないとね(笑)


それではまたぁ♪