どうして私のお印がどくだみ草になったのか。
それは遡る事5、6年前の事。
当時、大下英治先生は、下井草vivoの常連の女子たちを花で例える事が一つのブームになっていた。
(ちょっぴり若い頃の大下先生)
例えば、涼ちゃんは
紫陽花。
分かる~(*^▽^*)すごい涼ちゃんらしい瑞々しい和のお花。
きゅうちゃんは、
金魚草。きゅうちゃんらしいキュートなお花。
先生さすが、言い当ててるなぁ(o^^o)って、思って、私のお花を尋ねて見た。
「先生、私のお花は?o(^-^)oo(^-^)o」って。
そしたら、先生急に黙り込んで暫く考えた。
そしてボソッと言った。
「どくだみ草」
ガーーーーーーン_| ̄|○
(@_@)
毒で草。。。
全然受け止めれない(>_<)
すかさずきゅうちゃんは、「私だって草だよ。金魚草だよ。」って、フォローしてくれたけど、
きゅうちゃん。あなたのお花は花屋で売ってる。
私は、道端の雑草。
格が違い過ぎてる。
あまりのショックに、「えーーー(T^T)」って、嘆いてたら、先生はフォローしようと違う花で例えてくれた。
「オニアザミ」
毒の後は、鬼かい!
しかも、どっちにしろ雑草(T^T)
先生は、「どっちもすごく可愛い花だ」って言うけど。
私からしたら、どっちでもいいし、どっちも嫌だった。
薔薇とか百合とか言われたかった。
けど、それには到底届かない事が解ったので、ふてくされ顔でどくだみ草を選択した。
一旦それでいいって言ってみたけど、全然受け入れられる花じゃなかった。だけど、先生の他の女子に対する例えはドンピシャだ。
だからきっと、このお花の例えが飲み込めた時、私の私に対する理解が深まるかもしれないって期待をしたんだ。
それまで、どくだみ草なんて特に意識した事もないお花だった。
だけど、実は当時住んでいた杉並のお家は、春から夏にかけてお庭がびっしりどくだみ草一面になる。例えば、上の写真みたいに。
毎日眺めてたんだ。毎日観察してたんだ。
そしたら、ようやく理解出来てきた。私がどくだみな訳。
すごく言い当てられてるし、私そのものだ(・∀・)!って、心の底から思えるようになった。
私って、じゃじゃ馬だし、圧も強いし、うっとうしいと思われる事も多い。
華やかじゃないけど、でも、存在する事で機能する一面もある。
自分を客観視すればするほど、花の持つ意味が分かり、このお花そのものを尊く愛しく思うように変化した。
それから、私のシンボルマーク・お印はどくだみ草になった。
下井草では、どくだみ草=夢(私のあだ名)ってくらい浸透したから、みんながどくだみ草のプレゼントまでくれるようなった。
私のどくだみ草が浸透したある日、大下先生が電話をくれた。
仕事をしてる最中だった。
仕事で心が折れた瞬間だった。
そんな時、電話がなった。先生の名前で。
先生は嬉しそうな声でこう言った。
「今朝テレビを見てたら、どくだみ草の詩が紹介されていて、すごく夢に伝えたくなって電話した。今から、その詩を朗読してやるからな。」
受話器越に先生は、朗読し始めた。
それがこの詩
ドクダミ
星野富弘
おまえを大切に 摘んでゆく人がいた
臭いといわれ きらわれ者のおまえだったけれど
道の隅で 歩く人の足許を見上げ ひっそりと生きていた
いつか
おまえを必要とする人が現れるのを 待っていたかのように
おまえの花 白い十字架に似ていた
思わず、泣いていた。
折れた心は、立ち直った。
先生、本当にありがとう。
これからも、どくだみ草を。
これからも、この詩を。
大切に、育み続けるからね。
人は、言い当てられている程、受け入れがたい緊張を心身は感じるであろう。
だけど、
その事実を受け入れた時、大きく心の扉は広がり、全てが柔らかに前進していくだろう。
今の私はそう思う。
それは遡る事5、6年前の事。
当時、大下英治先生は、下井草vivoの常連の女子たちを花で例える事が一つのブームになっていた。
(ちょっぴり若い頃の大下先生)
例えば、涼ちゃんは
紫陽花。
分かる~(*^▽^*)すごい涼ちゃんらしい瑞々しい和のお花。
きゅうちゃんは、
金魚草。きゅうちゃんらしいキュートなお花。
先生さすが、言い当ててるなぁ(o^^o)って、思って、私のお花を尋ねて見た。
「先生、私のお花は?o(^-^)oo(^-^)o」って。
そしたら、先生急に黙り込んで暫く考えた。
そしてボソッと言った。
「どくだみ草」
ガーーーーーーン_| ̄|○
(@_@)
毒で草。。。
全然受け止めれない(>_<)
すかさずきゅうちゃんは、「私だって草だよ。金魚草だよ。」って、フォローしてくれたけど、
きゅうちゃん。あなたのお花は花屋で売ってる。
私は、道端の雑草。
格が違い過ぎてる。
あまりのショックに、「えーーー(T^T)」って、嘆いてたら、先生はフォローしようと違う花で例えてくれた。
「オニアザミ」
毒の後は、鬼かい!
しかも、どっちにしろ雑草(T^T)
先生は、「どっちもすごく可愛い花だ」って言うけど。
私からしたら、どっちでもいいし、どっちも嫌だった。
薔薇とか百合とか言われたかった。
けど、それには到底届かない事が解ったので、ふてくされ顔でどくだみ草を選択した。
一旦それでいいって言ってみたけど、全然受け入れられる花じゃなかった。だけど、先生の他の女子に対する例えはドンピシャだ。
だからきっと、このお花の例えが飲み込めた時、私の私に対する理解が深まるかもしれないって期待をしたんだ。
それまで、どくだみ草なんて特に意識した事もないお花だった。
だけど、実は当時住んでいた杉並のお家は、春から夏にかけてお庭がびっしりどくだみ草一面になる。例えば、上の写真みたいに。
毎日眺めてたんだ。毎日観察してたんだ。
そしたら、ようやく理解出来てきた。私がどくだみな訳。
すごく言い当てられてるし、私そのものだ(・∀・)!って、心の底から思えるようになった。
私って、じゃじゃ馬だし、圧も強いし、うっとうしいと思われる事も多い。
華やかじゃないけど、でも、存在する事で機能する一面もある。
自分を客観視すればするほど、花の持つ意味が分かり、このお花そのものを尊く愛しく思うように変化した。
それから、私のシンボルマーク・お印はどくだみ草になった。
下井草では、どくだみ草=夢(私のあだ名)ってくらい浸透したから、みんながどくだみ草のプレゼントまでくれるようなった。
私のどくだみ草が浸透したある日、大下先生が電話をくれた。
仕事をしてる最中だった。
仕事で心が折れた瞬間だった。
そんな時、電話がなった。先生の名前で。
先生は嬉しそうな声でこう言った。
「今朝テレビを見てたら、どくだみ草の詩が紹介されていて、すごく夢に伝えたくなって電話した。今から、その詩を朗読してやるからな。」
受話器越に先生は、朗読し始めた。
それがこの詩
ドクダミ
星野富弘
おまえを大切に 摘んでゆく人がいた
臭いといわれ きらわれ者のおまえだったけれど
道の隅で 歩く人の足許を見上げ ひっそりと生きていた
いつか
おまえを必要とする人が現れるのを 待っていたかのように
おまえの花 白い十字架に似ていた
思わず、泣いていた。
折れた心は、立ち直った。
先生、本当にありがとう。
これからも、どくだみ草を。
これからも、この詩を。
大切に、育み続けるからね。
人は、言い当てられている程、受け入れがたい緊張を心身は感じるであろう。
だけど、
その事実を受け入れた時、大きく心の扉は広がり、全てが柔らかに前進していくだろう。
今の私はそう思う。