祈りの島

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石垣って本当に、御獄(うたき:本土で言うところの神社)が沢山あるのです。


石垣島全体では100くらい。

そのうちの約半分50個くらいは、市街地エリアに集中しています。


石垣島は、東京23区の3分の1程度の面積なので、市街地と言えど、広がっておらず、密集しています。


荻窪~中野くらいまでの広さが石垣の市街地ってイメージしてもらうと分かりやすいかな?


そこに、50くらいの拝所となる御獄があるんですよ。


人口は島全体で5万人弱。杉並区の10分の1程度の人口です。


そこに対して、50くらいの拝所となる御獄があるのです。



すごい数だと思いませんか?


東京は、人口が多いので、拝所となる神社も名古屋より断然多いのだけど、それを人口の少ないこの島が軽々超えていくのです。


この島の人たちにとって「祈る」という事が、どれだけ重要であり、日常的であるかが伺えます。




この数を目の当たりにし、自分なりに色々考えていました。




祈る事が日常で、祈る事から、拝所がどんどん広がっていったのかな?と。



本土は、祈る場所を作るために、神社やお寺を作っていたけど、石垣は逆なんかじゃないかな?って思ってたの。


祈る事でその場所に一つずつ祈りの想いが宿り、それがやがて聖地となり、御獄になっていったのではないかと。


パッと見は拝所で同じですが、成り立ちが逆なような気がしていました。




そんな事を思っていたところ、昨日みえちゃんがお世話になってる宿のお母さんと話す機会があって、自然と御獄の話になりました。

自分なりの説を伝えてみたところ、お母さんが「そうだ」と頷いてくれました。



例えば、新川にある有名な御獄、真乙姥御獄(マイツバーオン)は真乙姥と言われる霊能力があると言われた方を祀っている場所なのですが、そこの始まりも祈りからだったそうです。



真乙姥に最初から宿っていた訳ではなく、祈る事を続ける事で清い想念が宿り始めたんだとお母さんは教えてくれました。


石垣にとって、自然と海と共存していくことは生きることです。

昔は、離島や本島に行くこともとても危険な事で、海を渡るたびに多くの犠牲者が出たそうです。


だから、島に残る人たちは、ひたすら祈ったのです。

それが、御獄の始まりです。


司祭が女性である理由も紐解けました。

男が海に出る。女は陸で祈る。


それが、御岳の始まりです。


真乙姥御獄の始まりも、真乙姥が海に出た息子が無事に帰る事を祈っていた、ただそれだけの事でした。


ただ、真乙姥が違ったのは、どんな事があっても、真乙姥の息子だけは必ず帰ってくるという事でした。


そこで、周囲が真乙姥の場所には何かあると、同じ場所で祈りはじめ、その祈りの念が土地を聖地へと導いたのでしょう。


島の人は、自分の事をやはり起源の頃から祈っていないのです。



他者を思う祈りの念が一つのスポットを作り、それが次第に島全体へと伝い渡る。


本土にはない、島全体に神々しいものが宿ってる独特の空気感への理解がまた一歩深まりました。



御嶽の研究はまだまだ続きます!