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普通の肌色ストッキングをはいているOLさんやオバサンたちを、以前はとてもダサいと思っていました。
特に、ミュールやオープントウの靴からのぞく肌色ストッキングの爪先は耐え難いヒドさだと。よくあんな恪好ができるなぁ~と、心底不思議に感じたものです。


そんなわけで20代は、ナマ足・タイツ・柄ストッキング、というレッグスタイルで過ごしたのでした。
ところが最近、すっかり肌色ストッキングと仲良くなり、気がつけばダサい身の上と成り果てているのです。


はく機会が増えたのは、きっと環境の変化と加齢のためです。20代の頃は、ナマ足だのカラータイツだのはご愛敬だった。若い人の流行なのねぇ~、と、周囲からも大目にみられていたように思います。けれど最近は、平均年齢が高めの職場に移り、お会いする著者も年配の方が多めという仕事環境になったこともあって、20代の頃のようなレッグスタイルだと、いたたまれない空気を感じることが増えてきたのでした。


人と会う約束のある日は耐えがたきを耐えて、肌色ストッキングをはき始めたところ。
これが、慣れると意外に心地が良いのでした。自分はまっとうな常識人、仕事人、という気分になれるのです。カラータイツなどだと、わたしは人とちょっと違うのよ、という自意識がにじみ出てしまうものですが、肌色ストッキングには、そうした自己主張は無い。


毎度引き合いに出させていただく、酒井順子さんの名著『負け犬の遠吠え』の中でも、“ ハチミツ色に輝くナマ脚や、複雑な模様がある黒タイツをはいた脚とは違って、「私は普通の人間です」ということを、世に知らしめてくれるのです。”と記されています。


20代のドン詰まりに結婚した当時、ダンナのご両親は、わたしのタイツをキテレツに思っていたということが、のちに判明したのでした。ダンナのお母さんは典型的な専業主婦、お父さんはお堅いサラリーマン、という婚家には、確かに肌色ストッキング以外のカルチャーはありえない。以後、あちらの両親にお会いする時にも着用を。


人を安心させるアイテムとして効果があるのだなぁと感ずる昨今。自己主張を抑えて礼儀を守る、というシーンには、やはり肌色ストッキングがふさわしいようです。三十路女の仕事人には、自己主張よりも、周囲への配慮や快適な環境づくりの方が求められるようになります。そんな周囲の要求の変化も影響するのかもしれません。


とはいえ、完全に無地肌色のものをはく勇気はいまだなく、光沢のあるシャイニーメッシュやバイアス柄、ダイヤ柄など、肌色の中にもうっすらと模様や光のあるものを選んでしまいます。まだまだ、完全に無地肌色&爪先切り替えアリの、変哲のないストッキングをはける境地には至れません。大人になりきれない未熟者の自分です。