パートで勤めている職場で干されていて、掃除しかやることがないので、資格の勉強を始めた。



でも、試験のある資格はどれもそうだが、そんなに簡単に取得できるものではなく、勉強を始めて早くもくじけそうになっている。



職場の上司や先輩を見返してやりたいという意地だけで、睡魔と戦いながら何とか食らいついて参考書を開いているけれど、ふと冷静になる時があり、こんなことやって何になるんだろうと思う。



私が資格取ったところで、誰の役に立つでもなし、誰もそんなこと私に求めてないし。



振り返ると、私は今まで、人の役に立ったことなどなかった。



それなのに変に責任を感じて無理して頑張って、でも結局何の成果も生み出せず、当然労われることはなく、迷惑がられてばかりいた。



でも、誰の役にも立たず、誰からも必要とされないのが私のデフォルトだと思えば、その現実を認めて人生を諦められたのかもしれない。



そんな私を受け入れてくれたのが夫だった。



夫も別に私を必要としていたわけではなかったのかもしれない。



でも夫は、何の価値もない私を無条件に受け入れてくれた。



夫と一緒にいて、今まで味わったことのない幸せを感じることができた。



そして私は、いつしか幸せな状態が当たり前だと思うようになってしまった。



私は夫の優しさに甘えきって、自分は当然のように幸せになる資格のある人間だと勘違いしてしまった。



夫がいなくなってから、自分は不幸だ不運だと思っていたが、本来私は、幸せになる資格などない人間なのだ。



子供も産まず、社会的に何かに貢献しているでもなく、何も生み出さない人間なのに、誰かに認めてもらいたいなど、身の程知らずもいいところだ。



だけど、夫と出会ってしまって、幸せの味を知ってしまったから、もう不幸がデフォルトの頃の自分には戻れないのだ。



夫と出会う前は、幸せだと思ったことなどなかったのだから、不幸には慣れているはずなのにと思う。



でも、幸せな体験が少ない人間ほど、一度幸せの味を知ってしまうと、不幸せなことが耐え切れなくなるのかもしれない。



こんな辛い思いをするならいっそ、私は夫と出会わない方が良かったのだろうか。



そして夫は、私と出会って幸せだったのだろうか。



私はこれからも誰も幸せにできずに人生を終えるのかな。