人は何も持たずに生まれてきて、何も持たずに死んでいく。
ということは、何か物質的なモノを所有することが一番大切ということではなさそうだ。
もちろん、お金をたくさん持つことでもない。
生きるということ自体、または生きている間に経験したこと、それらを通して得られた"モノ"に意味があるのだろう。
それは、目に見えない"モノ"。
愛情だったり、友情だったり、人と協力したり、ケンカしたり、困難にぶつかったり、挑戦して失敗したり、恋愛をしたり、自分以上に大切だと思う存在が得られた経験、美しいなと思える気持ちや、感動する気持ち、高揚感、失望感、すべてを受け入れる力、などなど。
そういうふうに考えてからは、お金で手に入るモノには次第に興味がなくなっていった。
高級な時計に、車、家。
家についてはよく「購入vs賃貸」論争が繰り広げられているが、地球はみんなのものなのだから「この土地は自分のもの」という感覚にも違和感がある。
私がシェアハウスに住んでいるのは、世の中はモノであふれかえっていて、新しく作らずにみんなで共有すればいいじゃないか、と思っているのが理由の一つだったりする。
(もう一つの理由は、結婚したいので今さら一人暮らしグッズを集めたくないからだ。こちらの理由の方が大きいかも。あぁ、早く引越しできますように!)
ちなみに、先日お会いした男性が「60才時点では1億円貯めようと思っています」とおっしゃっていたが、全然まったく本当に、ときめかなかった。
お金を貯めることが人生なのだろうかと、考えさせられた。
死ぬときには、「たくさんお金があってよかったな」とは思わないと思う。
色々あったけど、面白い人生だった、素晴らしい人生だった、みんなありがとう、と大切な人たちの顔を思い出して最期を迎えたいなと思う。
その時に、目に見えない色々な"モノ"を思い出すのだろう。
こんなことを書いているだけで、涙が出てくるのは、私が涙もろいからだろうか。
人生はいつだって挑戦できるし、失敗もできる。
後ろ向きになる理由なんてない。
生きていてよかったなと思える人生にしたい。